2018年8月18日 (土)

稲穂の風の中で

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 一面の稲穂には安心感があります。旧くから受け継がれてきたこの景色は、その時間の長さを思えばほんとうにありがたいです。ひとびとの汗と愛情の結晶だと思います。

縄文時代に、熱帯原産から九州に上陸した稲作は、栽培技術や品種改良によってしだいに北上し、比較的寒冷な北海道まで広まるには、長い時間と苦難と工夫があったに違いありません。田に水を入れるのも大変、水利技術や、いろんな農具の発明もなされました。

望みを捨てない、そういう風土が時間の流れの中で、探求心と、ものづくりに打ち込む精神文化を育んできたと思います。いま、実りの秋を迎えようとして、稲穂の風景の中で、豊作であればありがたいと思います。見れば心が安らぐ感じがします。
(寺家ふるさと村・・横浜)

 

 

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2018年8月15日 (水)

緑の山がある限り

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 立秋が過ぎて、光りはいくらか透き通ってきた気がする。けれどこの日は、雲は低くあたりは暗い。遠く稲妻が地に落ちるのが見える。雨もぽつりぽつり降ってくる。野中の道、ここまできたら濡れていけばいい、それしかない、ただの雨だ。熱冷ましにはよい。

世の中、そんなに捨てたものでもないと思います。虚々実々に、何のかのといってみたとて、あれはいまの世の、平穏への反作用のような気がします。川は、緑の山肌を源流にもつ。時に濁流となっても、必ず元の澄んだ川になる道理でございます。

 

 

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2018年8月12日 (日)

さるすべりの花が咲いている

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 さるすべりは夏の花、はすの花のように優雅さはないけれど、大樹を望まず、散りいそがない大らかさがあります。長い枝の先に花をつけ、風にゆれるしなやかさがあります。陽の中で無心にしっかりと咲いています。さあ、元気をだそう。今日もある。明日もある。

 

 

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2018年8月 9日 (木)

時代の流れの中で

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 ものをつくることはたのしい。考えをめぐらし、新しいものを生みだす時間は充実している。苦労したその成果はみな美しい。映画を作るのも同じ。人はみな何かに触れることによってものを思い、感性をみがく。

その意味で映画は人の情操を育む。俳優の津川雅彦さんが亡くなった。映画人として人々の心を打ったことは確かだと思います。みなで映画を作る心意気は楽しいものであったでありましょう。

調布市多摩川に映画俳優の碑があります。津川雅彦さんの名も、朝丘雪路さんの名も刻まれている。多くの映画俳優の名前を追っていくと懐かしいものがあります。時代の流れの中で、映画の役割は大きなものがあったと思います。

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2018年8月 6日 (月)

時代が移っても

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 ことしはいつになく暑い。ざわざわと風がふき、差別とか人権というけれど、その声、なにやら逆差別の感じがしないでもないです。感情ではなく、世はもっと大きなもので動いているような気もします。

空をみれば、なんとなく涙がにじむ思いがする。先人も涙している。広い海の向こうをみれば、いまさら、過去にこだわる人はいない。昭和は過ぎた。平成もあと少し。また新しい時代に入ろうとしています。

なんとなく、古い録画をみていたら、「武士の娘」の中で、鉞子(エツコ)の母がいう。没落して時代が変わっても、武士の心をわすれてはいけない。おまえには、何もしてやれないけれど、武士の心をもたせたので安心している。と、それが何かはしれないけれど、なんとなくわかるような気もします。時代が移っても、ときに先人のことを思いだすことも必要だと思います。

 

 

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2018年8月 2日 (木)

感動がひとつになるとき

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 2020年東京五輪・パラリンピックの開閉会式を演出する総合統括に選ばれた狂言師の野村萬斎さんは、「・・シンプルかつ和の精神に富んだもの・・」 になるように全力を尽くしたい、と記者会見で語っていました。この言葉、何となくいいなと思いました。

「シンプル」 とは何だろうか。たぶんそれは、余分なものを落として、磨きぬかれた美ということかもしれない。余白を大きくとった日本画のように、シンプルなのに、ゆったりとしている。余白が意味をもって、静かな景色が心に沁みる。そんなイメージでしょうか。

そして、「和の精神」 は、調和ということかな、と思います。あるものと、あるものがあって、初めて調和がなり立つ。そういうものが共感をよぶようなストーリーかもしれないと思います。

すぎやまこういちさんは、「 『雨がしとしと日曜日』 などは、シンプルな日本語ですが、歌になったときにすごくいい」 と、どこかに書いていました。そういう景色は、想像できます。その一瞬に感動があります。みなの心がひとつになります。その時を期待したいと思います。
(松原の中に、江戸時代の酒亭 九八屋  小石川後楽園)

 

 

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2018年7月29日 (日)

良いこと必ずしも

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 好きなチームに期待することは楽しい。優位に立てば気分は、はずむ。負ければ、やはり悔しい、気落ちする。しかしあきらめが肝心。人生は浮きつ沈みつ流れていく。思い切りのよいあきらめは、われらの気質であり、取り柄であって、未練がましいと思われるのは、ちょっと恥ずかしい。

恋は盲目という。恋に落ちると、すべてが美しくみえる。多少のことは、いとわなくなる。正義は曇り、負の部分は都合の良い理由をつけ、目をつぶる。それは、行く道をあやまるやもしれないです。

辺野古移設は、最高裁で妥当と認められている。国全体の安全について、自治体は判断できる立場にない、と示されている。翁長知事は、土砂投入の承認を撤回して、なんとしても 「辺野古に新基地はつくらせない」 とおっしゃる。

たぶん、翁長知事は、よいことをしているんだ、という思いでしょうが、自ら信じたのか、それとも、信じさせられたのか、その正義といえども、時に人の期待を裏切ることもあると思います。
なんとなく痛々しい気もするのであります。正義は必ずしも万能ではなく、パワーなくしては、おそらくだれからも一目置かれることもないと思うのです。

 

 

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2018年7月26日 (木)

百日紅の花

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 百日紅の花が咲いている。花びらのひとつひとつは、うすくひらひらとしている。可憐という言葉がふさわしい。暑い夏のあいだ中咲いている。可憐ではあるけれど、生き生きとして強い陽射しにも負けない生命力がある。

見上げるたびに、ああ今日も咲いている、と思う。郷里の小さなスイレンの池のそばにも、百日紅が咲いていたのを思い出す。

どんな言葉でも、ある意味、間違っていないという一面は存在する。
スピリットある杉田水脈さんを支持します。虚構を振れ回る者あるを憂うがゆえに、ここぞとばかりに風当たりがつよい。

 

 

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2018年7月22日 (日)

もの見るむずかしさ

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 これはと思って手にいれた高麗青磁の梅瓶が、鑑定団によってわずか3000円という哀しい結末、TVをみる者も、人生の悲哀を思います。いかにのめり込んで高揚したとしても、必ずしもよい結果を生まない現実は、不合理でもあります。ものを見る目のむずかしさでもあります。

カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法において、依存症への懸念が伝えられます。まあ、競馬も競輪、競艇も認められていることですし、それに比べカジノは庶民のものでもないような気がします。

それに関連して、立憲民主党の枝野代表による、内閣不信任決議案の説明の演説は、2時間43分に及びました。その録画をすこし見てみたのですが、安倍政権が嫌い、というのひとたちにすれば、なんか胸のすくような演説だった気がします。好き勝手で、毒舌をふくむ攻撃性、その決めつけは、しかし、論旨として実がない気がします。

枝野氏にすれば、十分高揚感があったのでありましょうが、長すぎでしょう。ものを見る目のむずかしさは時に人を惑わすことも承知していますが、ひとつの見方をすれば、ただ、始終、政権を批判することで喜びを感じているようにも見えて、あれもひとつの依存症と言えるのではないか、と疑いたくなってくるのです。

なにがなんでも政権を攻撃することに生きがいを感じる。それならば、議員として同じ目的をもっているのかどうか、あやしい気がします。庶民にあたえる影響は少なくないことを思えば、これも懸念すべきひとつと思うのであります。
(小石川後楽園・・外国のお客様)

 

 

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2018年7月19日 (木)

逆光の中の街

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 いつでも空は青いけれど、夏の空は明るすぎる。目を細め透かしても、街の中の景色は、はっきりとは見えない。まるで、すべてのものが逆光の中にあるように、遠く光っている。

暑さも暑し、中々に精をだすのもむずかしい。それでも人びとは汗みずくでがんばっている。それにくらべ無為の身には、朦朧としてよくは見えないけれど、見えないままにしておいた方がよい。見えたような気がするのは幻想かもしれない。思うことも取るに足りないことかもしれないです。
(江戸城天守台)

 

 

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2018年7月15日 (日)

言葉は正しく伝わるか

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 木漏れ日のある坂道の途中、かき氷の小旗が、風にくるくると揺れている。青地に赤い氷の文字の意匠は昔のままに、夏の風物として一点のさわやかさがある。その旗、何も言わないけれど、存在価値は十分に伝わってくる。

言葉もやはり生き物で、暮らしを共にしていれば時に、ひと言多い、と感じることもあるけれど、それも互いの存在価値の証し、気がすむならそれもいいだろう。あとは野となれ山となれ、気ままな風がふくばかり。

考えてみれば、言葉というものは、なかなか難しいです。弁舌がうまいと評判の若きホープが、「国民をなめてはいけない!」 と自民党の部会で、もの申したと伝えられる。軽く見てはいけない、というほどの意味かもしれませんが、だれが国民をなめたのか、それともなめてはいないのか、見る人、個人の主観でしょう、そんなこと、ほんとうのところは、はっきり言えないです。

むかし一世を風靡したこんな歌がありましたね、
 「ダンシング オールナイト 言葉にすれば ・・嘘に染まる・・」

このごろ、あちこちで、染まった言葉が多すぎる感じがしますが。それにしても、「なめてはいけない」 なんて、国会議員として上質なことばとも思えないです。
(下校・森の中を家路につ
く中学生)

 

 

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2018年7月11日 (水)

今につづく気風

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 「わび」も「さび」も、心のあり方として「美」をもとめるものといえるでしょうか、それは折りに触れ見聞きすることで、心の底でいまも息づいていると思います。そして、人と人のつながりは、過去と現在を結び、相互に依存していることを自覚しています。それを、「義」というものかもしれないです。

世の中は、自分ひとりではない。互いに上下の区別はないんだ。皆、そう思っている。けれど、その間には「美」と「義」がある。いつも互いのためを思う意識が、それと気づかず心の中にあって、自然に行動に現れるのではないでしょうか。

先ごろ、『日本人はどうやって「ゴミ拾い」を世界から賞賛される「ソフトパワー」に変えたのか=中国メディア 』 という記事がありましたが。サッカー・ワールドカップにおいて、日本のサポータのゴミ集めの話題に触れ、あれは、日本の経済成長によって環境問題がでたことに起因して成ったことで、わずか30年ぐらいでソフトパワーに変えたのだと言っています。

残念ながらその結論は正しくない。たぶんですが、長い時間で培われた、いわば美学という日本人の趣味がそうさせているのかもしれないです
(小石川後楽園・円月橋 池に映る橋が満月にみえる)

 

 

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2018年7月 8日 (日)

何もできないけれど

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 一日を無事に終えれば、またあしたも無事を思うけれど、自然の猛威にそれを奪われ、濁流にのまれるのは、声もなくいたましい。西日本を中心に記録的な大雨で被害がでている。不意にすべての歯車が壊されて、平穏と約束された今日の日は無残と化し、なすすべなく茫然となる。報道を見ながら心が痛みます。それは誰しも同じ思い。なにもできないけれど、どうか耐えて希望をもって生き抜いて欲しいです。懸命に救援、復旧に努める人びとに敬意と感謝を表します。

 

 

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2018年7月 4日 (水)

違う空間に入る一瞬

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 駅の改札を抜けるとき、微かなよろこびがある。それと気づかないほどですが、違う空間に入る一瞬というのは、少しの緊張と期待がわくような気がします。仕事でもあそびでも、あるいはスーパーに行くときでも、家に帰ったときもまた、その時空の変化というのもは、たのしいと思えばたのしい。

ひょっとすると、人は日々、いくつかのゲートをくぐりぬけることで、めりはりをつけ、生きるよすがとしているのかも知れないです。

寺田虎彦は、「柿の種」の中で、日常の世界と詩歌の世界の境界には、小さな穴があると言っています。人はその穴を行ったり来たりする、ただ、その穴のあることを知らない人もあり、見つけても忙しくて通れない人、太り過ぎて通れない人もあるけれど、病気をしたり、貧乏をしたりすると、とおりぬけられることもある。と言っています。

A地点からB地点まで恋をしてた、という意表をつく歌もありましたが、やはり、現実でも夢想でも、どこかに移動することはたのしいものがあります。
(重厚な大手門をでるとお堀)

 

 

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2018年7月 1日 (日)

遠い記憶

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 早い梅雨あけで、陰影を濃くする陽のひかりが射して夏の到来。台風発生のためか風の強い日がつづく。樹々のそよぎは暑さしのぎになります。夏のまぶしさはなぜか旅心をさそいます。

広く青い田んぼにうねるように、風の流れるのもなつかしい風景、白い道に遠くかげろうがゆらめく、思い出せば若きころ、郷里の境内の長い敷石の際に、いつも松葉ボタンが咲く、夏の日差しに強い生命力、そこだけ鮮やかな赤だった。

松葉ボタンの種、やっと手にいれて小さな鉢に蒔いたら、昨日今日と一斉に芽がでてきた。
 (内堀通り・風になびく柳)

 

 

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