2018年10月18日 (木)

桜の木の反骨

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 秋なのに、あちこちで桜がさいているというニュースがありました。強い台風で、葉が枯れたり飛ばされたりしたために、ホルモンの作用で開花したということですが、桜の木だって意思がある。
冬を前にして、これからゆっくりと葉を落として、眠ろうとするときに、意に反して痛めつけられれば、反抗もしてみたくなる。

そういう意味では、桜の木も、意外に外圧に対する感受性をもっている。反骨の気概がある。

われわれ日本人も、感受性が豊かであります。文学、芸術、自然科学、ものづくりに秀でているといわれます。
でも、日本人の災いは、そのセンシビリティーにあるかもしれません。それが逆に作用して憲法改正アレルギー症状がでているような気がします。あまり、きなきなするでない。と思うのでございます。

 

 

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2018年10月15日 (月)

風のある風景

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 10月も半ば、山はまだ青い。高さ35メートルの吊り橋の上、風はさやさやと通り抜けていく。爽やかで静かな空気を感じる。
小田急秦野駅から水無川にそって歩くことおよそ2時間、丹沢のふもとの山間に立つ 「風の吊り橋」。
この風景はのちの語り草、風はいつも新鮮、山も樹々も、人もまた、風の中に生きている。

 

 

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2018年10月11日 (木)

善意のゆくえ

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 善意を受ければ好感がわいてくる。うまくいく。それが普通。だけど、善意を悪意で返す、と言う人もありまして、広い世界には、そんなこともごくまれにある。

ただただ、日本悪しというのも中々異常にみえますが、たぶん、それは虚構によって醸成されたことは彼らもわかっていて、事実といいながら、強い願望をぶつけてくる。為政者も率先して保身のためにやっているのではないだろうか。

彼の国の再生のためには、人はみな上下の区別はないこと、多様を認めること、外からの価値観をよく吸収すること、などなど、何とかして体得しするしかないと思うけれど、中々難しいようで、それは頭の中を空っぽにしなければ、とてもできそうにない。

おそらく、彼らも歩んだ歴史を忘れてはいないだろうけれど、当時、自分の目で見ていたイザベラ・バードは、「朝鮮紀行」 の中に、つぎのように書いています。


「日本がなみなみならぬ能力を発揮して編みだした要求は、簡単で自然な、行政改革の体裁を示していた。」・・「わたしは日本が徹頭徹尾、誠意をもって奮闘したと信じる。」・・「日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。」・・「朝鮮における日本の政策は、国民から当然のごとく自分たちのリーダーであると認められ、文明開化の道をふさぐ複雑多岐な障害をみごとに切りぬけて国を導き、世界が賞賛を禁じえない手腕を示したことも、忘れてはならない。」 (過去記事の再掲)


これは、第三者によるリアルタイムのレポート。文明の恩恵に浴することはできたけれども、かの国はおかしい。精神活動の豊かな所産を文化とよぶなら、文化を築くのは、一朝にしてはむずかしいということになりましょうか。

 

 

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2018年10月 8日 (月)

街の中で精気をもらう

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 つぎからつぎといろんなことが起きる世の中にあって、心乱されることが多いけれど、虚構も幻影も、虚勢もまた確かなものがない悲しさに、もろく崩れやすいものでありましょう。
なあに、そんなに心配することもない。外に出ると、そんなことも忘れる。外へ出ることは、身も心も、緊張から解きほぐして、精気を取り戻すことでありましょう。外は明るく、街ゆくひとたちを見れば、みんな元気そうだ。

 

 

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2018年10月 4日 (木)

本気でぶつかってこそ親身

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 雨に遠くが霞む。色は薄くてやわらかい。外にでるときは、雨は降らない方がいいけれど、雨の景色は絵になるような。

ところで、「沖縄県知事選の応援で小泉進次郎氏、翁長知事の名前を出すも辺野古については語らず」 というニュースがありました。世間話から始めて気を引く、媚びるような演説では、どうやら真剣さは伝わらなかったか。
本気で語ってこそ、親切というもの、むずかしいけれど、本気でぶつからなければ、しらけてしまう。と思うのであります。

 

 

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2018年10月 1日 (月)

遠慮のある風

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 このごろ、社会は言うことが大げさになったのではないだろうか。世の平穏無事への反動がそうさせるのか、さも問題ありげな声がありますが、なんだかしらないけれど、決めつけてものをいえば、勢いあまって大げさになるような気がします。

以前に書いたことだけど、十人は十人の因果をもつのも許されるならば、悪は必ずしも悪ならず、善もまた善と定まるはずもないと知れる。悪として抹殺するのではなく、もっと自由でありながら、人にも一理あると認める、遠慮のある風が吹いて欲しい。

(新宿御苑・・昭和に流れた曲 「鈴懸の径」 を思いだす)

 

 

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2018年9月27日 (木)

未来は明るい

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 いろいろと正しいことを言っているようにみえても、石破さんも進次郎さんも与党に席をおきながら、言ってみれば、安倍首相が嫌いなんでしょう。例のモリカケ事件にしても、いまだに納得しかねるご様子でありました。

「異なる存在や声を社会の強みに変えていける、そんな日本でなければならない」 と進次郎氏はいうけれど、ご自分の意見があまり受けないことで、ものが言えないのはおかしい、と感じているのかも知れませんが、それは、ものを見る目が、情に動かされているためかも知れないと思うのです。

安倍首相をよく思わないその心情が、安倍首相にたいする物の見方が曇ってしまう。つい批判的な考えになってしまう。石破さんも進次郎さんも、安倍首相をなぜきらいかとえば、これは推測なのですが、たぶん 「日本を取り戻す」 という言葉に共鳴できなかったのではないでしょうか。

それが心に引っかかっている。両氏にかぎらないことですが、ずっと内と外からの攻撃にさらされつづけた日本、その後遺症が尾を引いている、そう思えてなりません。そんなもの、吹っ飛ばした方がよい。しかめっ面してないで、さあ、にっこりしようよ、いつだって未来は明かるい。

 

 

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2018年9月23日 (日)

静かな月夜

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 ふるさとの月夜は清浄なものでした。あたりを照らす月光は静寂でありながら心おどる心地がするのです。きのうは十三夜というブログを拝見して、十三夜という言葉の響きのきれいさに、そんなことを思い出したのでした。

樋口一葉の名作 「十三夜」 も思い出します。おせきが乗った人力車の車夫は、思いがけなくも幼馴染だった。おせきは紙入れより紙幣いくらか取出して小菊の紙にしほらしく包みて、「録さん、これは誠に失礼なれど鼻紙なりとも買つて下され」 と差し出す。

「あなたのお手より下されたのなれば、あり難く頂戴して思ひ出にしまする、お別れ申すが惜しいと言つても、是れが夢ならば仕方のない事、さ、お出なされ、私も帰ります、更けては路が淋しう御座ります」

 まったく別の人生を歩むふたりは万感それぞれに、心に哀感を秘めて、月光が明るく照らす上野広小路、十三夜の夜道を別れていくのだった。一葉は、「憂きはお互いの世におもう事多し」、と結んでいる。

 

 

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2018年9月20日 (木)

清流は悠々と

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 清流は深山から流れてくる。雨の日も雪の日も、渡る風をも吸い込んでながれてゆく。さざ波の穏やかさあり、ときには急流となって巌にはじけ、青空の下にひかり輝く。清流は悠々として力強い。

多様な意見を、あるいは健全な批判を、というようなことで、報道される小泉進次郎氏の心境、それは悲観論、見方も考えも、いささか暗くないですか。総裁選において、行く先に何を期待するのかにしては、ちょっとスケールが小さいような。

(御岳渓谷・多摩川)

 

 

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2018年9月17日 (月)

秋の晴天

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 きょうは薄雲の間から、晴れ間がのぞくいい天気になりました。

公正という結果が、利益をもたらす一面をもつなら、いいことに違いないです。でも、十人十色が人の取り柄でしょうから、その見る目の多少の偏向もやむなし、いずれが公正かはむずかしいところです。不公正に見えたのも、また公正のうちという気もします。

結局、取るに足りないこと、そんなことより、秋の晴天、その大らかさのほうがずっときもちがいい。

 

 

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2018年9月14日 (金)

秋はもうすぐ

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 少しづつ陽が早く落ちるようになって、コスモスの花が咲き始めると秋はもうすぐです。

歩いているとよく民家の庭先などに咲いているコスモスは、庶民的な風情があります。白とやわらかな紅であたりを明るくする。

その一群に出会うと、なんとなく遠い景色を思い出します。

八ヶ岳高原線・甲斐大泉駅から、八ヶ岳倶楽部へ通じるゆるやかな登り坂、道々、人家があるごとにコスモスが咲いていた。

(品川区 しながわ花海道)

 

 

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2018年9月 9日 (日)

ポジティブ指向

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 「あります」 という言葉には肯定的な響きがあるという。なるほど言われてみれば、気もちがよい言葉です。「できます」、「やります」、などもプラス指向で、はつらつとしている。ネガティブ思考で物事をなしたひとは、たぶんいない。世の中、ネガティブより、ポジティブ思考の連鎖の方がいいに決まっている。

朝のNHKニュースで、『公明 山口代表 憲法改正は慎重に検討を』 とコメントが流されていました。氏は、国民の充分な理解が必要といい、憲法改正の優先順位が高いとは判断できない、とおっしゃっていました。政治家でありながら、なんだか主体性らしきものがみえません。

慎重に、というけれど、現行の憲法の成立だって、国民の総意を問われたこともなく、慎重には程遠いものだった。その後、長い間、過ぎた称賛が宣伝された面もあって、いまでは政争の道具と化しているようにもみえなくもないです。

憲法には、人権も、個人の自由も、個人の尊重もうたわれていて、これを濫用してはいけないことになっているけれど、誰もそんなことは気にもせず、勝手なことをいう。そんなにありがたいものでもないような気もしてきます。

どんな内容の改正でも一歩前進であり、よくなることは間違いない。何かが悪くなることはないと思うのです。なんだかんだと言っても、日本人全体の力を信じるからです。

 

 

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2018年9月 6日 (木)

目に映じるもの

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 北海道で震度6強の地震、不意に襲われる自然の力に静かなるもの、動かざるものが、突然に崩れ落ちる。その映像はただ心が痛みます。ひとは成すすべもなく、見ていても思考が止まって寡黙になるのでした。

台風21号も今までにないすさまじいものでした。それもこれも、座してみていました。目に映じるもの、その苦境の経験は、何かを教えているような気がします。
形あるものは壊れるものと思え。車は風に転がるものと思え。屋根は風に飛ぶものと思え。錨も風に用を成さず。おそらくあの映像を見れば、人はそれに備え得るできるだけの英知をやしなうだろうと思います。

 

 

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2018年9月 2日 (日)

あとはあっさりと

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 晴れた日があれば雨の日もある。きょうは曇り空で、光の反射がない。樹々のみどりも、街の景色もやわらかい。あの照りつける陽射しはなんだったのか、天気は気まぐれ、昨日と今日、その変わりようは、うそのように実にあっさりしている。

丁寧な説明をしても、真実には興味がない、立場とこだわりが違えば、もとより耳にとどくはずもなく、ならば、エンドレスで不毛、進歩というものがない。壮大なムダというべきか。日本人は、一度いえばわかるはず、あとはあっさりがよろしい。それが本来の持ち味、呼吸がとても楽、ねちねちはお互いに身体によくないです。

 

 

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2018年8月29日 (水)

公正がくずれる瞬間

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 公正といっても中々むずかしいです。公正であることよりも、断定することの危険の方がはるかに大きい。ものごと、人にはいろんな前提と、いろんな見方がある。

ひとりの人が、ひとつの断定を下せば、公正がくずれることもあって、その瞬間に自他ともに胸騒ぎがおこる。言い負かそうとするよりは、思慮深い態度の方が、見ていて好ましいです。

それはダメだ、という人より、これがいい、という人の方が、私にはなんだか心がおちつくのでございます。

 

 

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