一種の道具

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 ひとはご都合主義でうごくのだろうか、なんだか底が浅いような気がする。
『石破氏、「桜触れぬ」首相演説、「私なら違う」』 というニュース、石破氏は、「あらゆる機会で説明していくことが大事だ」、とおっしゃる。

けれども、最早、さのみ説明が大事とも思わないです。桜のことは、一種の道具と化している。あれは政治をもてあそぶ道具に違いないです。大局を動かすものではおそらくないと思います。

政治の世界に身を置くもの、同じことの繰り返しはちょっと恥ずかしい。一を聞いて十を知る、ぐらいの聡明さであってほしいです。広い海のように大らかであってほしいです。

  

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2020年1月17日 (金)

おぼろの中の確かなもの

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 写真には濃きと淡きがあり、鮮明とぼんやりがある。それら双方の相乗効果として、一枚の写真に美しさが現れる。ものごとにも人生にも、濃淡、清濁はあると思う。

それは光りのあてかたしだいで、見えるところもあり、見えないところもある。どちらも大切。じつは、おぼろで見えないところの方が、ものごとの分明の可能性を秘めていることもあると思う。

いま、どのメディアも、徴用工ということばを多用するけれど、かの大法院の判決にかかわる元工員4人について、日本政府は、『旧朝鮮半島出身の労働者』と言っている。4人はいずれも『募集』に応じたものだ、と指摘している。それ以来、政府関係者から、元徴用工ということばは聞かない。

なのに、なぜいまもってメディアは、『徴用工』なのかよくわからないです。
あの時代に書かれたものを読んでみれば、朝鮮の国民のエネルギーは眠ったままで、搾取にあい無気力、首都ソウルにおいてすら、商店というレベルには達していない、という。

つまり商業も産業構造もなかった時代、活路を求めるその出稼ぎ労働者は、日本の産業の発達に貢献してきたけれども、それはまた、我も我もと、多くの労働者の明日へ希望を呼び覚ました。

エネルギーの活性化、生きる力につながったのは、間違いないことだと信じます。あれは、希望の夜明けへの序章だったと思うのです。

  

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2020年1月14日 (火)

いつかきた道

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 目の前の現実は生気を呼び覚ます。たぶんいつでも、現実を見なければ先に進めない。旧くは和歌や能、俳句などあるいは、方丈記のゆく河の流れ、にしても、人々は、諸行無常とか、生々流転を知り、移りゆくものを、やさしい目でみていたのだと思います。

そのようにして日本人は、旧くから現実を肯定する術を身につけてきたと思います。なんでも肯定的にとらえて、道を開こうとするけれども、時代の流れが見えなくて、ものが素直に見えない国もあるらしいです。

台湾の総統選、蔡英文総統が圧勝した。それを見て、中国は、台湾総統へ祝意の日米英に対して、強烈な不満、断固反対、と抗議してみせる。

また、「汚い小細工」 と台湾を批判する。そういう言葉がでてくることは、大国といえども、どこか幼い、発想の貧困のような気がします。
それはたぶん、その遠い風土の記憶、いつかきた道、という気がしないでもないです。

(隅田川の川面)

  

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2020年1月10日 (金)

目の前がひらける

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「すみませーん NHKの街頭インタビューしている番組なんですけど・・」、で始まる 『ガイロク』 というBSテレビ、人生の落ち込みから這い上がる、人それぞれの生き方がある。

肺がんに罹って療養中の男性は、
「こんな病気になるんか、悪いのは、頭と口だけと思っていたけど・・」 とさらりと語っていました。

誰しも、人生いつ何が起きるかわからない。魚つりが好きで準備をしている、
「海みて 波みて 空みて・・」
と明るく語っていた。くよくよしても、良くなるわけではないとも、ひとの言葉は、目の前がぱっと開けるような力を与えてくれる、そんな気がします。

  

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2020年1月 6日 (月)

責任感も礼節も

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『逃げるは恥だが役に立つ』というタイトルは、調子が良すぎて、こざかしく聞こえなくもないけれど、中々どうしてあのドラマ、意表をつく展開で面白かった。と思って気がついた頃には終わっていたけど。

 あれは、付かず離れず、礼節忘れず、ルールを守って行けば、なんとなくお互いにうまくいけそうだという、ほろにがおかしいコメディだった。

うまい話しも、出来過ぎた話しも、すぐに手を出せば、罠にはまる。結局、付かず離れず、欲得捨てて、逃げるが勝ち。

しかし、押しの強さと、ものにした財力にもの言わせて、ルール破りでレバノンに逃げ去った男は、まことの経営者にあらず。責任感も礼節も、そして恥も、持ち合わせず、実にずるいだけの男だったような気がする。

  

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2020年1月 3日 (金)

自然は活力を生む

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 人間、できるなら調和の中で生きたい。樹木も草花も、生い茂る小笹も、つる草も、みれば、自然はみな青々と呼吸している。それぞれに生気を宿し生きている。

「実に大自然には不調和は存在しない」と、イザベラ・バードは言っていた。つまり、自然は雄大であり、静かで美しい、ということでありましょう。自然は四季おりおりに姿を変え、春には生命力があふれて、共生の緑をつくる。

正月、長いテレビはちょっと疲れる。年をとると集中力が続かない。その間ずっとやっていた 「ポツンと一軒家」、みるともなしに、断片的に見ていたけれど、やはりあれは映像が美しい。そこに住むひとびとの言葉は、生き生きと語られる。それがきもちがいい。

  

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2019年12月30日 (月)

それでもこの一年、

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 歌は世につれ、世は歌につれ、という心やさしい時代もあったけれど、それは昔のはなし。いまテレビの力は絶大で、ほんの一瞬にすぎるコメントが、人の心をとらえてはなさない。

それを知り尽くした何者かに乗っ取られたのかもしれないけれど、世はテレビにつれ、という感じがします。さもおかしく、時に辛辣に流されて、不信とお騒がせ、がはびこり、人心を曇らせまどわす。

善良なるものに不信が不信をよぶような気がします。それは、良薬口に苦し、という時代の必然かもしれないけれど。
それでも、この一年、日本は信頼にたがわず盤石の姿だったと思うのでございます。

  

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2019年12月28日 (土)

秋がおわった

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 秋がおわった。
 
一面の落ち葉に 陽が射して明るい。
 木々の影は 長く落ちて
 あたりは からっとして さっぱりしている。

  

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2019年12月24日 (火)

憂うこともない

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 男は男気、女は女気、それで世の中はうまくゆく。
『男女平等度ランキング、日本は過去最低121位』
さてさて、「男女平等度」というもの、
社会参加の人員で計れるものやら。

そんなもので、進んでいるとか、遅れているとか、でもあるまいに。
またまた、誇り得るものでもおそらくない。
たぶん、有意の時の流れと芸術文化の醸成が、
ひとの心を豊かにする。

男気も女気も、長い歴史のあるところに生まれる。
いやいや121位、何のその、憂うこともないです。

  

 

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2019年12月20日 (金)

昔みた映画

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 まじめもいいけれど、人間らしく雑に生きるのもいい。その方が楽、つまり、うまくいくことが多いと思う。日本の好きなところを一つだけ上げるとすれば、悪いことはしない、ということ。

つまり、情をおいてでも、道理への誠実に従おうとする古くから受け継いだものがある。無情な不条理に会おうとも、ありのままを受け入れることは、気丈になれる。肯定的にとらえれば、先がみえてくる。
そうは言っても、テレビを見れば、悪いことも厭わない人も、中にはいる様な気がする。

最近BSテレビで放送されたイタリア映画、「道」 をみた。昔みたのは高校の時だった。
ジェルソミーナは、ちょっと変わった女の子、売られて旅芸人に連れていかれる。好奇心もあり、ありのままを受け入れて生きる。ふとした事件が元で、旅芸人はラッパと小銭を残して、ジェルソミーナを置き去りにする。

それから歳月が流れて、ジェルソミーナは、身よりもなく、亡くなったと、旅芸人はある街で聞かされて、ひとり海辺で慟哭する。
思い出しても目頭があつくなる映画だった。ジェルソミーナの映画音楽は、あのころ、よくラジオで流れていた。

  

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2019年12月17日 (火)

あと少し

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何ごとも 欲張らず やり過ぎず 遊び過ぎず

ちょうどよい加減が いちばん。

ことしも あと少し

  

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2019年12月13日 (金)

何かが欠けている

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 謙虚で穏和なひとがら、熱くならずに熱き心を感じさせる人、そういうひとは、好ましい感じがします。人は人を理解するところに喜びがあるのでありましょう。

たぶん、そのひとに、ものごとを公正にみる目、ひとびとにたいする礼儀正しさが物腰にあらわれて、ひとの心をひきつけるのでありましょう。

グレタさんとよぶべきか、グレタ嬢とよぶべきか、みていてそんなものが見受けられないのは、ずいぶんと哀れな感じがするのでございます。

  

 

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2019年12月 9日 (月)

葉ぼたん

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 しっかりとよって立つものを持たなければ、根なし草になってしまう。受け継いだ歴史の上に立って大地に根を下ろしていれば、自ずとのびてゆくものを、ただその時の風にまかせて浮草のように漂う。そんなもの、大樹に育つはずもない。

急に寒くなったり、また戻ったり、冬か秋か、季節の変わり目は行ったり来たりする。今日はやや寒さがゆるんだ。
夏に蒔いた葉牡丹の鉢植えは、柔らからな葉を重ねはじめた。

ところが、昨日見ると、葉がむざんに喰われている。ひよどりは、いつも垣根にとまって四十雀やめじろを威嚇する。奴が食べたに違いない。なにより証拠は、そばにあった小さい鉢が倒れている。
かれは、それを止まり木にしていたのだろう。ひよどりも、よって立つものなくば、食にありつけない。
(旧江戸城 清水門)

  

 

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2019年12月 5日 (木)

読解力

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 学力調査の結果、若者の読解力が落ちたというけれど、できる人もいれば、できない人もいるわけで、そんなに問題ともおもいませんが、若者にかぎらず大人もおなじような気もします。

テレビで流すほんの2、3秒程度のコメント、立民の蓮舫氏の言葉が耳に残ったのは、「・・微塵もない」というそのひとこと。たしか、誠意のかけらもないと首相を糾弾するものだったけれど、その言葉、当を得ているのか。なにをもって、どこからでてくるのか、わたしには、その読解力がありません。

丁寧に説明せよ、といいながら、聞く耳もたず馬の耳に念仏もよくあることなれば、元より分かってもらえるはずもなく、結局、微塵もないという言葉になるのか、それとも、高度な心理戦術なのか、わたしにはわかりません。

でもまあ、そんなことは小さい。これから先のこと、どうあるべきか、あるべき姿は何なのか、お互いに胸に手をあててみれば、ひとのことは言えない身なのではないだろうか。どーんと大きく構えていれば、どれだけ健康的であることか、と思うのであります。

  

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2019年12月 1日 (日)

相対的なもので、

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 何年生きてきても、人生は無駄なことばかり。何ほどこともできはしない、でも楽にすることは大事で、それが人の心を安らかにし、若さを保つことになるかもしれません。
無駄は、人生をなめらかにする潤滑油でもあります。あそびのない歯車はまわりません。

いま、桜も思わぬいじめ方をされて悲しんでいるかもしれませんが、あれは一つの絵になっていて、あれはあれで、役立つ面もあると思う。そんなところに税金をつかうのはおかしいという人もあるけれど、野党の一部も遊びすぎのような気もします。

ものごとは、相対的なもので、善悪なかなか定まらぬものであります。歳費だけはいただいて身の暮らしを立てている、わいわい言うだけで、建設的でない議員さんの集団もいらっしゃるようで、選良とは言え、足をひっぱるだけの、それはもう多大なロス、桜のその比ではない。歳費の壮大な無駄と思えなくもないのであります。

(横浜・海の公園)

  

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