2018年12月10日 (月)

城門をくぐるとき

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 写真と文はあまり結びつかないけれど、無味乾燥より色どりになるかと思っています。風景写真というよりは、遠景人物を撮らしてもらっています。恐れ多いとは思っていますが、人が写っていることで、そこに流れている時間とか、何か一瞬の安らぎでも感じられるものになればいいなと思っています。まあ、偶然の産物であります。

ここは江戸城の桜田門(渡櫓門)、松と緑がみえます。額縁構図をねらっているのでしょうか、カメラをずっと構えている人がいます。門は空間の移動の場所、くぐる時かすかな喜びがあります。

 

 

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2018年12月 6日 (木)

清浄な空気を

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 代々木公園、落ち葉を敷きつめ澄み切った雰囲気がある。清浄な空気に包まれるということは、気持ちがいいです。

日本に対して、「不幸な歴史に目を閉じてはならない。」 と韓国の1当局者は、いうけれど、そんなに、不幸な歴史というからには、それまでは幸福であったということでしょうか。本当のところは、やっと夜明けを迎えたのではないですか。

特権階級の搾取で、民は、無気力、無関心、無感動の底に沈み込んでいた。そこに新しい風が吹いてきて、農業改革で収穫量は3倍、人口は倍増した。職を求めて奔走した。搾取は止んだ。ひとすじの光りを見たのではないでしょうか。

それは幸運の風が吹いたというものでありましょう。併合時代の労働者一人につき約一千万円の慰謝料を請求、そういう判決に至る価値観はまったく理解できません。

人の価値は何でしょうか。人は多数で生きる以上、欲心ではないでしょう。何でもいいから、他人に良い作用をして意味をもつのが知性であるなら、たぶんそれが人の価値になるのではないでしょうか。

 

 

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2018年12月 3日 (月)

時代おくれ

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 いちょうの黄葉はあかるい。自ら枝を離れ、地に積もってもなお色はあせない。あたり一面の明るさをとどめています。ゆく秋を感じます。

なんとなくだけど、人はしがらみの中で生きているけれど、いちょうは、すっかり葉を落として冬を耐え、そして春には新しい芽をだす。何ごともなかったように生きている、じつに清々しい。

時代遅れのひともいるわけで、「・・そういう歴史があったことをどれだけ認識するかだ」 だって!!? 

 いろんな感じ方があるでしょうけれど、偏ったり、情で歴史を見たりすると、つまらないことになります。 そんなものいつまで背負っているんでしょうね。 為にならない石部金吉さんはもう置いて行けばいいです。

 

 

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2018年11月29日 (木)

長い経験の果て

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 人間、自分一人では何ほどのこともできない。外からの刺激なしには、新しいものは生みだせない。つまり、一日の長ある人の言葉とか、物語あるいは書物などの影響なしには文化が醸成されることはたぶんないです。何ごとも経験しなければ、真に身につかない。心身ともに健康であることも大事であります。

韓国をみていると暗たんたる思いがします。人は正しい行動を見て、正しく育つ。不運な境遇にあれば、悔しさが渦まく。その逆境は、自由と美的な営みを知らず、恨みや妬みだけが渦巻き、思考はその泥沼の中でもがく。

イザベラ・バードはつぎのように言っています。
 「朝鮮には階級が二つしかない。盗む側と盗まれる側である。両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であった。」

いま彼らが信じてやまない、
  「日帝の不法で過酷な支配と冷酷な収奪」
というものは、その歴史の裏返しと重なる。李氏朝鮮は500年あまりつづいた。

 

 

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2018年11月26日 (月)

豊かさがあるところに

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 日々だれでも、気もちよく生きようとする。それを文化というのではないだろうか。それはたぶん肩の力を抜いた心の豊かさがあるところに育つ。人の交わりによって培われる健全な心のはたらきがそれをつくるのだと思う。俳句も川柳も、落語もひとつの文化。

「文化を忘れない日本人、中国報道」 という記事がありました。日本は、日本刀の技で惑星のサンプルを採集しようとする文化がある、という。それはちょっと文化とは違う気がする。『文化』 は明治時代につくられた和製漢語、その言葉を取り入れても、その概念をつかむのは難しいのかもしれないです。

 

 

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2018年11月22日 (木)

収穫を待つゆとり

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 山道をのぼってきたら目の前がうわーっと広がる。ここは三浦半島の南端、一面のキャベツ畑です。遠くまで青々とつづいている。まるで美瑛のようです。さえぎるものがない雄大な緑の景色は、生き生きとして気持ちがいい。

この広さ、農作業も大変でしょうが、収穫時にはよろこびも大きいにちがいないです。農家のみなさんは、作物をじっくりと育てあげて成長の時間を待つ、それは世話をする労苦をのぞけば、ゆとりをもった、くらしのリズムでありましょう。

おカネを欲しいという気持ちは健全で、日々の活力になるのは確かであります。一方、汗水ながさないでも儲けるひともいる。カリスマ経営者といわれた日産のゴーン氏、数十億という虚偽記載で逮捕というニュースがありました。

人間、お金儲けがすべてになってはおしまい。やはり、いいプロセスはいい結果を生み、悪いプロセスは悪い結果を生む。
ゆっくりと実りを待つような、それ相応を知る心のゆとりを持ちたいものであります。

 

 

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2018年11月19日 (月)

松のある風景

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 秋はもうすぐ終わり、冬がやってきます。春夏秋冬、時代を経ても松は緑を絶やさず、枝ぶりはさまざま、じつに自由でのびのびとしています。堂々として古老の風格があります。松のある風景にであうと、ああ、松の木だと思います。

ここは、浜離宮恩賜庭園、元は徳川将軍家の庭園でした。江戸城の出城としての役目もあったという。往時をおもえば時の流れを感じます。ここは松が多い。静かです。

 

 

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2018年11月16日 (金)

ものを見る目

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 色づいた木の葉が光りに透かされて輝いています。その向こうでみながあそんでいる。秋の日は、なにごともなくながれています。

どちらかと言えば、思い切りがよくさっぱりしている。わけの分からない面倒なことはきらい。それが日本人だとおもうけれど、それはたぶん、ものを見る目の美意識によるものだと思います。美意識は人の行いを律するともいえます。

韓国は自虐によって有利に立とうとする倒錯がある。徴用工を貶めてはばからない。つまり、思考パターンが日本とは逆のような気がする。おそらく当時としては働いてお金をえることは、とてもうらやましい存在であり、多くの人たちがそれに向かって群がった、人々に成功者と写っても不思議ではなかった。

共産党の志位委員長は、新日鉄住金本社にやってきた韓国の原告代理人らと面会したことに関し、「被害者の尊厳を回復する解決を求めていくことを約束しました。」  と言っています。

被害者?。中々あやしい。一体、その尊厳を汚しているのは誰か。決して日本ではないです。後々の彼ら自身の自作自演であることは疑いようもないです。下手な作家というしかない。志位委員長は、おかしなことを言うものだ。
寄り添うように装って、韓国の近代化を思うでもなく、していることは、韓国への背信に等しい気がします。

 

 

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2018年11月12日 (月)

人生のけじめ

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 見はるかすさえぎるものがない海はいい。満々と水をたたえて水平をなしている。何かなつかしいような心ひかれる気がする。

「ポツンと一軒家」 というテレビで、老人はハンマーでブロック壁を壊している。自分が作ったものは自分で壊すという。それがけじめだという。ここにはその人の永い人生ドラマがみえる。みていてもなつかしさを感じる。なつかしさは古くなるほど強くなる、と岡潔はいったけれど、なるほどそういうことか、しみじみと思いを深くするもがありました。

先日、『密着!中村屋ファミリー 勘九郎七之介に世界が喝采 &7歳5歳涙の猛稽古SP』 を見た。この世界ではたらく人たちは、事のはじまりと終わりに、よろしくお願いします。ありがとうございました。おめでとうございます。などと両手をついて頭を下げあいさつをかわす。画面の中で幾度となくでてきたその場面は、うつくしいと思った。

なんのために、あいさつをするのだろうか。それもけじめのひとつだろうけれど、礼儀作法ができているということは、一本すじの通ったものがある。たぶん、そうすることで、互いに、わだかまりのないすなおな心をみがくのでありましょう。

 

 

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2018年11月 8日 (木)

額に汗して働く

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 過ぎ去ったことは、もはや問題ではないです。ただ、むかしのことです。テレビもなければ洗濯機もない。汽車は三等車の時代、額に汗して働く時代、三丁目の夕日よりもっと古い時代だった。その時は何の問題もなかった。

韓国最高裁のいわゆる徴用工に関する判決ほどおかしいものはない。確とした証拠も提示し得ず、情に流され本質が歪められる。うそほど恐ろしいものはない。自他、双方にわざわいがふりかかる。

間違った前提は間違った結論を生み、間違った前提は、正当性を失う。不利益、不当、であったという前提が崩れている以上、もはや韓国要人が何をいっても、その正当化は心に響いてこない。

当時、旧朝鮮半島出身の労働者は有能で、けた違いの収入を得ていた報告もある。韓国最高裁の判決を尊重せよというなら、そういうなりふり構わぬ文化、と割り切ればそれもよい。韓国の内政のことだから。

しかし、国内法を外国の企業に適用できるかは、甚だ疑問です。資産を差し押さえるなら、日本の許諾は必須条件だと思います。それなくして、有無を言わせぬ挙にでるなら、それは国家的略奪・・・・。
真実ほど強いものはないです。そんなに簡単には壊れません。

 

 

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2018年11月 5日 (月)

見た目と違う

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 スカイツリー 高さ634メートル、空に真っすぐにのびるながめは美しい。みんな写真に撮りたい。
しかし見た目と写真は違いますね。空と雲の明るさゆえに、美しかったながめは鮮明さを欠きシルエットのように写る。もの足りないけれど、でもまあ、この方が安らぎがあるようにも思います。
 ありのままは、人を緊張させるけれど、シルエットは人を安らかにしますね。

 

 

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2018年11月 1日 (木)

すべては誤解の上に立っている

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 不遜なことだけど裁判というのは、中にはこういう判決にしたいという結論が先あるのでは、と思うことがありますが、今回の韓国における徴用工訴訟の韓国最高裁判決は、その最たるもののような気がします。

判決理由の要旨をみれば、個人の請求権あり、とするための辻褄合わせのために、後から取って付けたようなもので、その根拠があいまい。もう願望がでたというしかない。

荒涼とした大陸的な過酷さの中で生きぬくには、騙すことも知恵のうち、それが賢い。常に強いものが強い、それに従うしかない。そういう風土が身にしみついている。

いまの韓国司法も、おそらく大統領の意に従うしかなかった。それが生きる道。自由民主主義の風が吹き込んだとはいえ、裁判の何たるかを知らない、厳正であるべき裁判さえも政治利用する。韓国政府は、対応策を検討するというけれど、なに、自作自演の匂いがする。

しかしながら、すべて彼らの言動は、誤解の上に立っている。元はといえば、彼らの日本に対する認識、日本悪し、という策略、その誤解から発している。歴代の大統領がそう仕向けた。

たぶん、長くつづいた大陸的風土が勝ち目のありそうな敵を必要としている。いわばそれが背後霊のように重くのしかかっている。それに比べ、台湾は島国で比較的温和な風土に育ったことがわかる。日本は恫喝はしない。
彼らが日本を知るということは、世界を知ることにも成りえると思うけれど、果たしてその時がくるのでしょうか。

(横浜の港)

 

 

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2018年10月29日 (月)

のびやかな風情

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 ビルの谷間に緑がある。光りが射して木々の影ができる。この景観の入り口に立てば、何か軽やかな気分にさそわれる。なぜだろうか、植物は生き生きとしている。自然の中に人は調和する。

時実新子さんは簡単に言えば、俳句は風景画、川柳は人物画といったけれど、なるほどと思う。人はみな自然の風景が好き。

静かなる心で自然と人が会話する詩歌は、ひとつの伝統としていきつづけている。それは人が、形を残そうとする創作意欲をもっているからでしょう。
ひょっとして、私たちは、自然なかりせば無力なのかもしれないと思うのです。
(有楽町にほど近い通路・・のびやかな空間)

 

 

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2018年10月25日 (木)

前向きの人生

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 肯定は許容であり、前進の道をひらく。しかし否定は断絶であり、途方を失う。テレビに流される政争にもネットにもいろんなコメントがあるけれど、否定的なものが多いです。

それも多数をたのめば、一つの力になることもあるでしょう。たとえ間違いであっても、正しくみえることもあり、善良なるものはそれに流されもするでしょう。答えのない否定論は健康とは言えない気がします。

ものごとやさしいものほど難しいけれど、それは認識の深浅の差、あるひとつの事について言うことよりも、言わない部分に深遠が含まれる、ここは思案のしどころ。

無縁坂を下れば不忍池にでる。忍ぶ不忍とは、人生に機微あり、喜怒哀楽の人生、ということでしょうか。
後ろだけは見ちゃだめと笑ってた、という言葉、思えば心に染みます。

 

 

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2018年10月22日 (月)

秋の花は静か

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 一面の花の色は明るいけれど、秋の花は何となく静かな感じがします。いろんな色が、緑の中に散らばって、程よいブレンドで、一段と美しさが映えています。短い秋のこの花たちは、誰がため咲いているのでしょうか。

そう、言わずと知れた、気ままでせわしない私たち人間どもに、しばしの心の休息を与えようと、咲いているのでございます。

 

 

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