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2008年6月

2008年6月29日 (日)

変わったか

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会議で、立場を利用して自分の考えを押し通そう、とする人に直面したとき、思うことがある。
 戦後、日本人は、少しも変わっていないのではなかろうか、と。

大局的な視野をもたず、狭量な精神論に裏打ちされた理屈や己の思惑の固執には、あわれみさえ覚える。やはり日本人の底にある何かは、同じことを繰返し変わりようがないのか、と思う。

思えば、遠く父祖から受け継いだ血は、今の自分に流れている。だから、今の時代に、あれは悪であったとしても、その血をひく者として、かの時代の人たちを非難はしたくない。

今だから誰でも言える結果論として、いかに正しく見える考えであっても、その善の部分だけを自分のものとして、悪の部分を指弾することを、ぼくはしたくない。 同じこの国に生をうけた者として、過去における善も悪も、等分に責任から逃れ得るとは思わないからである。

会議の名のもとに権力をふりまわす人も同じ血が流れている。

 

 

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2008年6月24日 (火)

カモのあかちゃんは、

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水の流れがはやく、

泣きながら、いっしょうけんめいに、泳いでいるのに、

少しも前にすすめません。

うしろに流されるばかりです。

でも、お母さんは、ゆうゆうとしていました。

 

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2008年6月22日 (日)

熱しやすく冷めやすいのは、

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ひとの心の熱しやすく冷めやすいのは、世の常、男女の仲、こどものおもちゃも、世相の移り変わりも、みな同じ。


 是非にと乞われて嫁いだが、良人の愛もいつしか冷めて、理不尽な扱いに、涙にくれるお関。 人生の流転を描いた、樋口一葉の名作は、十三夜であった。


里の親に諭され、良人のつらく当るも辛抱しよう、とお関は、離縁をと言うたも、思いなおし、良人のもとに帰る決心をする。


この国もまた一国の宰相への期待は、いつの時代も同じ。世相の移り気に、変わりはないようだ。 われら、人の欲目は、移り気で果てしなく、満たされることがない。

得てして世間は極めて恐ろしき我がままもの、一時の思いにかられ道を外して、人の笑われものとなってよいものか。

 

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2008年6月14日 (土)

民意はびこる

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 民意を無視している。民意に基づき、伝家の宝刀をぬく、などと耳にする。

民意を大切にする、という言葉を純真な心で聞けば、素直にうなづける。 昔から民のための国を治める、という物語を読んだり聞いたりしてきた。すべての人が民であり、世の中は民の集まりで成り立っているから、民のためも当然のことだろう。

いま多少なりとも世のうごきに興味をもつ歳になって、ぼくは純真さをなくした。世界は、何が善で何が悪か、分からなくなってきた。

民意とは何か、と思う。何をもって民意というか、と自問する。民意に沿うことは、正しい道であろう。民意は、いま現在の気持ちであり、望みである。

けれども、真に民意があるとして、民意に沿うのが正しいかどうかは、客観的に見て疑問が残る。なぜかと言えば、民意の示す方向というものが、常に正解とは限らないことを歴史から学んだ。 民意は、その結果に責任をもたない。

一時的な感情に左右され易い多数決が、近視眼に陥りやすい危険性をもっていることに似ている。

民意とは、第三者の単なる声であり、プロである国政を預かる人が、広い視野に立って実現に向け思考した深遠なるものとは異なるはずだ。

民意は強い。民意などもっともらしく口すれば、虎の威を借るきつねに見えるやも、知れぬ。

 

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2008年6月 1日 (日)

失敗は貴重

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恥を恥と思わない人物は、大物になる、ということはなるほど、と思わせるものがある。しかし、それは自らの失敗に気づいていないところに、強引さと驕りを認識できえないという結果にもとづくものである。あるいは、強引も驕りも自己満足に優先し、行動規範の外に置いているのであろう。それは、ある意味で大物であるかも知れないが、畢竟それだけのものである。いずれの時か、底の浅さが露呈し、ひとの心は離れていくであろう。
だから、失敗は、有用である。これほど貴重なものはない。

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