« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

2008年7月27日 (日)

未知への反応は鈍い

080727a

 我慢は、時との戦い。仕事においても人生においても、うまくいかない時は、とかくあきらめやすい。

迷惑この上ない殺傷事件が起きるが、複雑化した時代における体内物質の物理現象が引き起こしているのか、あるいは、私たちの我慢の限界値が小さくなってきたのかも知れない。

先のことはわからない、だからと言って否定的結論では、後で損をする。もっている情報だけで判断することは、易く、楽ではあるが、新しい道はひらけないと思う。
ものごとの反応にはスピードというものがある様だ。既知の情報に対しては、早い。未知につきあたった時、反応が鈍く
なるようだ。
それでも我慢して努力すれば、自然といい結果がでてくる。それを待たずあきらめてしまえば、みすみす潜在している
伸びる力を捨てるに等しい。もったいない気がする。

我慢しながら、時との戦いの末、何かを見つけたときの充足感は、うれしい。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月21日 (月)

朝の散歩に風は涼やか

080721b

まだ早い朝、起きだして外にでる
時間は静かにゆっくりと流れている
だれもいない空の下に身をおけば
夜のなごりを含んだ風は、涼やかに触れ
何の思いもよぎらない
すがしさだけがある
道ばたに落ちた夾竹桃の白い花の群れは、
まだ踏まれもせず、新鮮さをとどめている

あしたからまた仕事ができる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月19日 (土)

夢みる人は純粋な人

人との出会いで、人生が変わり、夢から覚めたような体験をした人の話は、よく聞く。 人並みに歩いているつもりの自分にとって、目からうろこが落ちるようなことは、なかった様な気がしている。

それでも長い道を歩いてきてふと、気がつけば、情報の過多の中であればこそと思い当たることがある。ああ、あの人は夢を見ているのではないだろうか、と思うことがある。夢のその中で、夢を見ていることもあるから、そう思う自分もまた夢の中にいるのかも知れないのだが、夢みる人について考えてみた。

夢みる人は、けがれのない純粋な人である
夢にどっぷりの人は、それが夢であることに気づかない
夢と気づかない人は、正義をまっとうする
夢を見ている人は、現実が見えない
夢を追う人は、理性より、やりたいことを優先する
夢をおしつける人は、酔っている

起業家精神の旺盛な夢みる人は、失敗しても何とも思わない、すぐに立ち直るが、なかなかうまくいかないようです。

080719a

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月11日 (金)

篤姫様

 主従の礼節を守り、懸命に生きている人たちを見ていると、心の中に一筋の清水がひたひたと流れ込んでくるような気がします。前を見てみてまっすぐに歩いている人を応援できるということほど、うれしくて勇気づけられるものは、ありません。

 「徳川の妻」 を見ました。

井伊様を大老に推す嘆願書にご署名を、と滝山様がお出しなりました。考えの末、篤姫様の出されましたご決断は、意外なものでした。上に立つ方のお考えは、下の者には及びもつきません。篤姫様の広い視野をもつお考えは輝いて見えました。

篤姫様は申されました。

滝山、そなたの信じる道に従え、と。

下のものを信じることほど大切なものないと思います。自分を信じてもらえることほど、力が湧き、そのうれしさに勝るももありません。聡明な滝山様は、篤姫様のお言葉に自らの心にあらためて問われたことでしょう。 そして心の内で篤姫様への信を厚くなされたでありましょう。


篤姫様の使命も、果たしてその結果がどのようになるものか、きり見えない以上、薩摩の父上様をただ信じるしかありません。

わが内なる思いを人に託して、事をなそうとする難しさ、責任の重さ、への思いやりにも気をくばり、追い詰められた気持ちを知ぬげに、幾島様から矢のような催促にも、乱れることなく威厳をそこなない篤姫様、それもまた幾島様への信じる心のあらわれでありましょうか。

篤姫様の背すじをのばされたお姿の清々しさに、心が洗われます。タイトルバックに象徴される篤姫様の落とされる一つぶの涙は、誰のためのものでしょうか。

それは、日常の雑事の合い間にふと思い出すたび、はるかな思索の泉へとさそわれるものでした。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月 6日 (日)

思い通りにならない

080705a


 思い通りにならないとき、沈黙する、そして思いは深くなる。心に不満があれば、脱出をめざし創造的になれると思う。そうしてみれば、満ち足りた人生は、つまらないものではないか。

人並みに歩んできたと思ったのは錯覚だったか、その先に道があったであろうことにも、気づき得なかった。人の痛みには、なおさらだったのではないだろうか。

 思いもかけず挫折を味わったこともある。だがそれに浸ることで、やがてつぎなる新しい道を生む。すなわち落とし穴に落ちなければ、脱出成功の機会はやってこない、ということだろう。だから、何らかの圧力は、ある方がいい。それは自分にとって試練であって、経験あり、善である。なぜなら、そこに考える理由が見つかるからである。

思いどおりになる人生なんてつまらない。いつのときか思い通りが、適うということは、人をしてするのではない。内なる自分の心をあやつることではないだろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »