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2008年9月

2008年9月28日 (日)

もの言わぬ犬に見えたもの

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 犬ぐらい人間を好きな動物はいないでしょう。家族だけでなく、知らない者にも親しみを感じる時があるようです。

犬をつれている人の後ろを歩いていると、飼い主に引かれながら、その犬は何回も後ろを振り返ってぼくの方も見るのです。かなり距離が離れているのですが、まるで後ろ髪をひかれるような素振りをしています。

あるときは、すれ違うとき、いきなり前足で抱きついてきて、びっくりしたこともあります。公園で飼い主が呼んでいるのに、ぼくの方へ一目散に駆けよって来たこともあります。

見ず知らずの犬が、通りすがりに笑顔で挨拶するように、ちょっとだけサービスしてくれるのです。犬それぞれに感性が違うのか、中にはそんな反応をしめす犬たちがいます。

犬は予知能力があって、飼い主に異変が起きることを知らせたり、心の病を癒す能力が注目されています。そういうテレビドラマを見ていて、ふと、思ったのですが、犬がぼくの方によってくるのは、ただ好きだからということではなくて、ぼくの中に何かを見て、心配してくれたのではないかと思ってみるのです。

自分で自分を見ることはできませんが、人間思いで、もの言わぬ犬には、見えたとすれば、それは何だったのか知りたいと思います。

ひょっとして、それに気づいた時、人生、変わるかも知れません。

 

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2008年9月21日 (日)

美的センスとテクニック

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 仕事のできの良し悪しというのは、持っている美的センスによる影響が少なからずあるのではないか、と思います。

思い通りに自分の流儀でやりたい、と思うのは誰しも同じだと思いますが、意識せずとも自分のセンスを満足させながらやっているのが実際でしょう。

美的センスは、主観的なもので、一方で乱雑になっていると思っていても、そうは思わない人もいる訳で、必ずしも誰もが同じと言うわけにはいきませんが、雑なものは、やっぱりそのセンスの有無が影響しているように思います。

図面やレポート、プログラムソースなどにしても、いいものはには美しさがあります。
書いてある内容を言っているのでは、ありません。見た目の美しさのことです。レイアウトや字配り、丁寧に書かれていて分かり易い、質の高さのことです。

効率至上を言われるのが仕事ですが、効率に勝って大切なのがセンスと丁寧さです。結局、質が良ければ、問題の起きることは、少ない。

質の良さというのは、持っている専門的な技術だけではなく、美的センスとそのテクニックの相乗効果に裏打ちされるものだと思いいます。

 

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2008年9月17日 (水)

上長がやれと言っている、できるという判断だろう

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 人生、自己を高める気概なくして、生きがいはない、と思う。
とは言っても、ふり返ってみれば凡夫の身、おおよそ、自分ひとりでは何ほどのこともできなかったと思う。

叱ってくれる人や難題を与えてくれる人がいたから、 なんとか道を切りひらく力がついたと思う。

仕事において、難題を指示されて、まいったなあ、ということはよくある。
やれ、と言われたことで、全体の流れや自分の力量をはかり、反発心が起きた。

できるわけがない、という思いが先行した。売上げ優先、時間が足りない。愚痴や、できない理由ばかりが、浮かんた。

それは目先の見えない至極当然の心の動きだったと思うが、問題解決への必要な道筋であった気がする。

そういう思い自体、すでに頭の中で問題点の整理しているのであって、解決の始まりを意味している。

上長がやれと言っている、できるという判断だろう。スロースターターとしては、できないと結論を急ぐことはないのだ。走馬灯の様に浮かぶ不平不満、葛藤、やるしかない。

やってやる。自分ひとりではないのだ。どうすればいいのか、追い込まれて考えていくと、解決の道はしだいに開けてくるものだ。

だから、難題を指示されるのは、自分を高めるための絶好のチャンスに他ならない。

やって見れば、一見、理不尽に思える無理難題であっても、結局は道が見つかった。その経験が自己を高めた充実した時間だったのだと、あとで気づく。

それは問題に突き当たって、自己をひ弱にはしない。

要は、やれという強い指示を得られるかどうかであったであろう。

逆に言えば上長は見識を持って、できるはずと判断したならば、実行にうつす強い指示を出してこそ、部下のためになる。

それができないならば、それは潜在能力を引き出せ得ない。
どうせできないと始めからあきらめている訳で、相互の良好な信頼関係は得られなかっただろうと思う。

平穏無事は必ずしもいいことではない。少なくとも何分の1かの不満が必要だろう。

 

 

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2008年9月14日 (日)

名月のころに思い出します

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 めぐりくる秋の月、うす闇に照らしだされるあたりの陰影は、いっさいを清浄な世界に変えてくれます。
月影の中に身をおけば、だれしも、ものを思い何かの感慨をもつのではないでしょうか。

奈良の都の安倍仲麻呂は、十六歳で留学生として唐に渡り、いつか三十五年の歳月が過ぎます。
異国にあって月のきれいな夜、故国の月をしのび歌を詠んでいます。

 あまの原ふりさけ見れば春日なる
        みかさの山に出でし月かも

帰国の途についた船は、暴風雨にあい安南に漂着し、思いはかなわず唐で七十二歳の生涯を終えています。

中秋の名月のころになると、この歌を思い出します。

 

 

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2008年9月 9日 (火)

すばやい反応の感性・・・

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 「人間の一番の価値は、地位でも名誉でもなく感性だ」と、石原慎太郎さんが言っています。

この感性という言葉に興味をひかれました。
例えば、日本の首相が辞任したと聞けば、北の人が拉致調査委員会の設置の延期する、というすばやい反応をしています。これも現状の不利を打開しようとする感性と言えなくもないでしょう。
あるいは、それは、「日本の政治の混乱を見透かされた、自民党政治がもたらしたことだ」と、厳しく批判していることも、また自分を有利にもって行こうとるすぐれた感性ではないかと思うのです。

しかしこのような感性は、持っている理性のいくつかを犠牲にすることで成っています。

すなわち、一方は約束を破ってもよいという考えであり、そしてもう一方は約束を破ったことを問わないで、是認している態度に表れています。

感性は、もっている知性の中のいくつかを無意識に見落とす、という能力が必要なのかも知れません。

感性は、知性をフルに活用していては発揮できないということでしょう。

けれども、見かたを変えれば感性を持っている人というのは、知性豊かで、理性がはたらきますから、拉致調査委員会の設置の延期などはしないでしょう。また第三者に不確定な責任をおしつけるような、本質を見失ったりすることもしない、ということにもなります。

結局、近くのものも遠くのものも見えるのが感性かもしれません。しかも反応できるということかな。

 

 

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2008年9月 7日 (日)

支配する者の自尊心は、

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 上に立つ人が変われば、目のつけどころも変わる。
年間のケーブルの購入費、1億円が高い、3割下げろ!
と、
命令がでた。

会社立てなおしを得意としている人にしては、発想が単純だ。改善を外注に求める努力は、どこか空しい。

支配する者と、支配される者との力学的な落差は、
信頼感と安心感には遠く、支配されるものは、ただ悲哀の中にただよう。

でも、緊張感と、進むほどに増す欲求不満は、人間をひ弱ににはしないと思う。緊張は、脳を活性化する。

外注の原価構成を分析、査定した結果は、ガソリンスタンドで3割安くしくれ、と言うに等しいことが分かった。ケーブルは中国で造っているのだから無理もない。

結論は無理。何もしない。果たしてそれで通じるか。
支配する者の自尊心は、いかに処理されるだろうか。

 

 

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