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2008年11月

2008年11月30日 (日)

良かれと信じて疑わない行動は・・

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 そのひとの自信ありげな言動はどこからくるのだろうか。 思うにその、第一は自己顕示欲であり、第二に論拠のない思い込みであり、第三に本質を見失っていることであり、第四に洞察力のない楽観視である。

自分の行く道を模索しながら迷走し、ついに定まらず動物愛護の理由の中に没入して抜け出せず、事件を引き起こすさまを見ていると、気づかないだけで、ぼくの心の中にもそのような芽があるのでは、と思わないでもない。

総じて人生における学習機能が未発達な部分があり、自己制御ができず、常人にあるべき、欠落した部分があるということである。
しかも致命的な欠点を生むその要因は、天が自己の欠落に気づせないということである。

そういう自己の良かれと思い信じて疑わない行動は、時として周囲を翻弄する。

しかし、欠落した部分があることは、決断力や実行力を生む最大の長所でもある。 その事実は厳然としてあるのだが、欠落した部分があるが故に強固になった論理は、説得力を増してせまってくる。

でもそれは、一時的なものでしかない。 常人はいつもの同じ論理に、どこかおかしいと気づき始めるからである。

 

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2008年11月22日 (土)

「おバカ」呼ばわりする編集者は感覚が麻痺している

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 ぼくは日常のいろいろな情報の中でくらしている。 それがなければ何も学習することもできず、進歩も生きがいさえなくなってしまうだろう。
言わばぼくは、周囲との情報の受け渡しによって起きる連鎖反応の中にいる。

同じ様なことがくり返し入ってくると、考えも次第に変わってくることがある。 感化された様な気分も時にする。

素人考えは、素朴であり捨てたものでもないと思うが、それがだんだんと麻痺して疑問に思わなくなることがある。
素朴な考えに立てば、娯楽番組にしてもそれを作る人たちは、どこか感覚が麻痺している。

たとえば、「おバカ」という言葉には素直に笑えない。
誰しも個人の尊厳があるものを、たまたまの人の無知を笑いにする、その感覚、しかも商売道具にするなど、ぼくは憐みを感じてしまうが、そういう感情は上に立ってみている判断であり、自己嫌悪にもなる。

正しい考えだけど幼稚だと言われようと、ひとの悪口はだめなのである。

そういう意味において今週の「週刊新潮」と「週刊文春」の広告見出しは、人のことを笑う同じ様な内容である。「マンガ・・」とか「おバカ・・」呼ばわりする編集者は感覚が麻痺している。それが売らんかなのプロかも知れないが、軽薄であり悪意さえ感じる。

ひとりよがりの節度をもたないものだ。 内容を読まなくてもそういう見出しは、人の人格を軽くみる風潮をよび、世の中を次第に麻痺させていくのは避けられない。

 

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2008年11月 9日 (日)

気がついてみると

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世の中のこと、自分だけの考えで判断できたことは、なかったのではないかと思います。 テレビや新聞の情報に流され、その時、そのときでそうかと納得し、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、いつもふらふらしています。

まだ政治への関心が薄くあまりものを考えなかったころ、会社の社長のひと言をなぜかよく覚えています。 新聞は本当のことを書かない、とぽつりと言ったのです。あのころ、若かったぼくは、どういうことかよく分かりませんでした。

新聞は、公共の利益のためにあるのであって、事実を伝えるものと思っていましたからね。 マスコミに携わるひとというのは、みんなのためになること、知りたいことを客観的な立場で伝えるために働いていると思っていましたから。

ところが、マスコミの言っていることは、主観的なものを多く含むことが分かってくると、少し疲れますね。
何が正しいのか、選り好みなく知識を集めることが必要で、判断をくだすにはスタミナが必要だからです。

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2008年11月 3日 (月)

そんなもん、なんぼ並べてもらっても

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ある地方の病院へ、障害調査に行ったときのこと、事務長さんのご高説は、延々とつづきました。

 ・・・・・

・頭ぺこぺこ下げる人間は、嫌いじゃあ。

・ほんじゃけえ、あんたあ、だめ、言うんよ。

・できん理由なんかいらんよ。

・そんなもん、何ぼならべてもらっても、何にもならん。

・どうやったらできるか、考えにゃあ。

・改革せん業者は、排除してきたんじゃあ。

・難しいことを言うとるんじゃないよ。

・誠意がないなあ。

・社長になったつもりでやってみい。

・売れるものを造らにゃあ。

 ・・・・・

 みごとな論旨の展開です。ものをつくる者の鑑とすべき内容です。まったく反論のしようがありません。そう言われれば、心は動揺し自分に非があるかの様に錯覚します。機先を制して、言い訳を封じ開発者の自尊心と精神を逆手に利用しています。

かって、職場で、「できない理由をならべるなっ!」 と、とどめを刺されたことを思いだします。その結果は、「やってやるうっ!」 と奮起の甲斐あってか、くやしいかな、解決方法が見つかるものです。以来、「できない」 は、禁句でした。 

でも、どこかおかしいです。事務長さんが、ここまで言えるということは、何かが欠落しています。
人は、欠落した部分があるほど強い。真に欠落しているのか、あるいは作為あって欠落を装っているのかは、わかりません。

とは言え、ユーザーの声としては、傲慢ではありますが、確かな正義の声でありましょうか。この様なエンドユーザーに突き当たることはいい体験になります。身が引き締まります。

 

 

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