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2008年12月

2008年12月30日 (火)

継続の力

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 世の中は人それぞれで、中には年賀状を出さないと決めている人もいるようです。

一枚一枚丁寧に書いているのに、無味乾燥した印刷だけの年賀状がくるのは、失礼千万だ、だから出すのをやめた、という人もありますが、でもやはり、ぼくはそういう年賀状でも貰った方がうれしい。

縁あっての人生であり、他の人たちの力があって生きていられるから、つながりは大事にしたいと思っています。

一年の節目にお互いの幸せを思う年賀状は、型にはまっているから継続する力にもなっていると思います。

 

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2008年12月21日 (日)

ドラマの中に流れる「役割論」

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 すべてのシステムは、個々が役割を果たすことで機能します。立場によってもっている力をきっちりと出すようにすれば、物事はうまくいくはずですが、役割認識が欠けたとき、問題が起こります。 年金問題や政局の混迷もひとつにはそういう面があるのではと思います。

大河ドラマ篤姫の制作テーマの一つに「役割論」が設定されていたそうです。 
思い返して見れば、天璋院篤姫や勝海舟、西郷吉之助、小松帯刀、滝山、それぞれに幕末の時代の流れにさらされながら、その役割の中にいきいきとして、生きていたようにに思われます。

普遍的な「役割論」がドラマの背後に流れていたことは、視聴率の高さからみても多くの見る人にとって心の洗われるヒントになったと思います。 自我を抑え全体の中のひとりとして期待される役目を全うする姿は、清々しいものがあります。

大奥を去るときの天璋院と滝山の交わす言葉は、役割をやり通した人たちの悲哀と誇りが感じられました。
 「大奥を閉じることが、わたくしの役割であったと申すか」
 「・・そのようなお方に最後までお仕えでき、私はこれまでの大奥年寄の誰よりも、幸せにございました」

ともすれば、我田引水になりがちな自分を思わないでもありませんが、役割を果たし終えて幸だったという言葉は、確かな役割の自覚の上になりたっています。 そのことに好感を持ちました。

 

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2008年12月14日 (日)

1頁を5秒で暗記する男

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 記憶増進症にかかると、追想作用の異常亢進によって記憶の異常増進が起きる。 辞典を丸ごと脳に写し取ることも簡単にやってのける男が、井上ひさしさんの小説「吉里吉里人」にでてくる。
受けたショックが強すぎ、健忘症からの立ち直りを通りすぎ、記憶増進症にかかってしまったのだ。

男は、過去の出来事をきわめて詳しく鮮やかに思い出す。 うそはつけない、そのことが、奇想で滑稽なトラブルを引き起こす展開は、記憶にかかわる一つの問題提起でもあるのだが。

意識せずとも、あらゆる生物が記憶のメカニズムを持つことによって、生きていられるのは確かなことだろう。
常人においては感受性と思いこみに左右され、一過性のものをすべて記憶することは難しい。

そのため、時おり何かが抜け落ちることがある。 自分の常識ではあっても他の人には当てはまならないことが往々にしてあることは、障害が偶発によって起きることにも通じる。

すなわち記憶違いの偶然は避けられないのである。 そのことによって、ものを読んでいないと判断するのは、早計であろう。

 

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2008年12月 7日 (日)

歩きだした方向は急には変えられません

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 人間にとって自己のもっている新しい情報や考えを人に話すことは、快感です。 快感は現実を忘れ、思考がとまり、ときには理性を失わせます。

上長と外部業者との打ち合わせは終わりそうで終わりません。 会話を楽しんでいる時間の浪費は、その場の潤滑油になり得ても、大して益にはならない、のみならず信頼にかかわる企業情報の漏洩、品格の低下につながるをも気づきません。 もっとも品格の何であるかを知らずば、気づくはずもないのです。

 ですが、慣性の法則にしたがえば、誰しも、走り出したら急には止まらないのも真理です。 快感に酔えば、冷静な判断を失うのも当然ではありますが、離れたところから側面図を見ていればこそ、形が違って見えるのは、しごく当たり前であることは、わかっています。

 

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