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2009年2月

2009年2月22日 (日)

新聞は読むけれど

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ぼくには、報道番組の魅力は薄れています。 TV報道は公共である前に、商手段です。 迅速に報道番組を発信できるテクニックとエネルギーは、ものづくりをしている者から見れば、驚嘆に値します。
時間との戦い、体力、精神力、攻撃力など素晴らしいものがあると思います。
知る権利の名のもとに、それへの執着は、営利目的のため必要性による情報収集であるとも言えます。 表面だけ見ていれば不況はないかの如く、情報の放出はとどまることを知らず、映像の反復供給も止むこともないです。

しかし今、ニュースによれば、テレビ業界が番組作りを発注する制作会社への「下請けいじめ」「買いたたき」が問題になっているとも、また新聞の収益構造は崩壊寸前、であることも伝えています。 不況の波はここにもあることを知ったのです。

穴をあけることのできない報道の宿命、情報の切り口の難しさ、そこにたずさわる人たちにも、悩みはあると思います。 善と悪の区別、問題の提起をしなければ面白くならず、かつ論理の正しさなどを要求されながら、刹那的にすぎてしまう。
それによって生じる功罪、もたらす結果の責任も、よぎるであろうに、時間の流れは止まらない。 思えばむなしい立場かも知れません。
では、ブログによる情報発信はどうでしょう。 その非営利、非公共性は、何でも書けてしまうのです。

 

 

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2009年2月15日 (日)

ブータンのプリンセス

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 たしか「ブータン素描」という本だった。

本棚の後ろの方を探してもみつかりません。

読んだのもう三十数年まえのことです。何となく読みたくなったのです。

でも、みつかりません。

若いプリンセスの写真はどこに行ってしまったのか。 それは日本の皇室を訪問されたときのもので、見開きページにあったはずなのですが。・・・

 

 

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2009年2月 8日 (日)

お茶が教えてくれるた、しあわせ・・・

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 人生における歓びは、人の和のなかにある。 孤独の中ではありえない。
人はみな自分の個性にひそかな自負がある。 その個性に誰かが気づいてくれた、と知るなら、その歓びは、生きる糧として大きな力となるに違いない。

誰しも、かっこよく振る舞いたい。 自慢もしてみたい。

けれども、その思いは、必ずしも自分の思うほどに、ただしくは伝わりはしないし、気づかれることも少ない。
むしろ、その振舞いによって、挫折感を味わうことの方が多い。

それは、世の中で暮らす以上、何らかの束縛を受けざるを得ない、ということでもある。

そう、ひとりひとりは自由ではない。 約束の中に生きている。

我を通そうとすれば角がたち、答えが見つからなければ疲れ果ててしまいます。
ところが、ある日、何の前触れもなく、目からうろこが落ちるということがある。 それを知ったとき、とても気分が軽くなった。 勇気がでてきた。

それは書店で何気なく取り上げた一冊の本だった。
「日日是好日」 ”「お茶」が教えてくれた15のしあわせ” と副題がつけられた森下典子さんの本だった。

お茶の先生のところに通って二十余年にして、先生がどれほどに心を尽くして、もてなしの準備をしているかに気づき、それがわかってきたという。

移りゆく季節を味わうこと、今ここににいること、このままでよい、ということ、雨の音を聴く、成長を待つこと。 読むほどに胸を打つ。

先生は手順だけ教えて、何も教えない。 それは、わたしたちを自由に解き放つことであった。 と言う。

実はすべてが自由だったのだ。 先生は自分の満足を優先しなかった。 相手が発見の歓びを知るまで、じっと待っていたのだった。

 

それは、自ら感じ、考えることへいざない。 先生のやさしいまなざしだったのだろう、と思う。

茶の湯の世界の静寂と美の中に、濃密な何かに気づいた瞬間の、確かな歓びが伝わってきた。
喧噪で雑多な個々の考えや主張の渦巻くなかにいても、気の持ち方ひとつで、それはそこにあるのだろう、と思う。

 

 

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