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2009年5月

2009年5月31日 (日)

日本発の世界ではじめての快挙

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 新しいスタンダードの誕生です。宇宙航空研究開発機構〔JAXA〕が5月28日、また、明るいニュースを発表しました。

地球表面のほぼ全体を覆って、温室効果ガスの濃度分布の変化する様子を測定し、そのデータの公表を開始します。
地球全体の未来を考え、新しい形の国際貢献に役立つということです。

定置観測や航空機による観測と違って、衛星「いぶき」から観測することによって、ひとつの測定器、同じ条件で客観的に測定できるということは、JAXAが言う、まさに、『共通のものさし』 としての世界のスタンダードになるはずです。

データは無償で配布されるというのもいい。衛星利用の面で、日本はいま何を考えているかを示し、世界に先んじたことは、存在を示す上でその意味は、大きいと思います。

それを生み、それにたずさわった人たちの喜びもひとしおであろうと思います。
温室効果ガスの濃度を360~3900ppmという狭い範囲において測定できるということは、その技術の信頼性の高さを、物語っていると思います。

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2009年5月24日 (日)

両横綱に土という意外性

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 白鵬、朝青龍、ともに土がついた14日目の相撲、会心のわざがきまった一瞬は、見ていて爽快感がありました。
横綱がそろって負けるという意外性もありますが、ほんのわずかな一瞬に、燕がひるがえる様に、美しい形となって決着がつく様は、芸術作品と言ってもいいと思います。

わずかのスキをつかれて、わざに落ちたとき、すでに無力のままに自分を支える力を失ってしまう。
泥まみれで立ち上がる屈辱の姿と勝者との対比、積み上げられたものが不意に途切れてしまう落差は、残念というより、むしろ見ていて清々しい不思議な感動が湧いてきます。

思えばそれは、自分の中の悲喜劇性を連想させるひとコマでもありました。
天からの驕る気持ちへのいましめかも知れません。勝つも負けるも、気迫を尽くした結果は、つぎへの力を呼ぶことは、確かな気がします。

 

 

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2009年5月17日 (日)

ときには現実から抜け出して、

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 過ぎ去った歴史のなかをさ迷うことは、ひとつの悦楽です。

誰に気がねすることもない、自分ひとりの時間です。
遠い時代の人に、思いめぐらせるとき、よろこびも苦しみも、悲しささえも、ぼくの中に清流が流れるような気がします。

一切の雑事をわすれ、その中でさらさらと遊ぶことができます。一冊の本に触れたことによって得られる、はるかな想像は折にふれ楽しい時間を呼びます。

 

 

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2009年5月10日 (日)

ひとの頭で考えるということ

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 いつの時だったか、黒柳徹子さんと明石家さんまさんの対談を見ていたときのこと、さんまさんが徹子さんに
  「あなたは、人の話しを聞いていないでしょう」
と言ったことがあります。

一瞬それはないだろう、とぼくは思いましたが、まあ、お笑いの番組、テンポの早い会話の流れで展開していきましたが、
徹子さんはよくしゃべる、という断片的な印象を、さんまさんがもっていたとすれば、そんな言葉がでるのも不思議はないかも知れません。

「徹子の部屋」という長寿番組をもってる徹子さん。

人の話しを聴くプロな訳ですから、そのプロに向かって「・・聞いていないでしょう」 はないんですね。

一瞬、憮然となる徹子さん。聞き流してはいましたが・・・

さんまさんも「話しのプロ」です。
ですけれども、さんまさんは、話し方の能力の優れていることから、いつも自分の頭で考えていて、他人の頭を利用して考えることが少ないんじゃないの!とよそながら勝手に思ったのです。

よく、ああ言えばこう言う、というタイプの人がいますが、そういう人をみていて、ふと、そんなことを思いだしたのでした。

 

 

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2009年5月 3日 (日)

世界に誇れる憲法!!?

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 日本は戦争を永久に放棄する。という精神風土は、世界に類を見ない崇高なものであろうと思います。

しかし、内にあって、世襲制限を一大争点に、と言う低次元の社説を説く新聞もあらわれ、憲法22条に定める職業選択の自由も、44条にある議員として出るには差別されない、という法も無視する勝手さ、政争を有利に運ぼうとするかのような世の風潮があります。

つねにあらゆる出来事は、駆け引きとして少しでも有利になるように利用されます。

世界の情勢をみても同じで、国益第一であり智力をめぐらして情報戦略を展開し、道義的な行動は目的達成のためには重要ではなく、排除されているようです。

このような世界における熾烈な駆け引きの現実を見るとき、国の戦略として戦争放棄を他国に知らしめることは、われらの平和希求への自負にはなり得ず、国を守る強力な武器、抑止力を手放したも同然です。
列強国からみれば、幼稚なものにしか見えないのではないかと思います。

戦争放棄そのものは、いいのです。

しかしそれを自慢めかしく声高に言うこと自体、大人げないと思うのです。
それは、日本の中にあってこそ、通用しますが、外から日本を見た場合、同情と哀れみこそあれ、褒められもしないし、返って困ったものだと迷惑に映るのではないかと思います。
われわれ世界はまだ成熟していないというか、先のながい歴史の途中にあると考えます。

ですから今の時代、そのこと一つ9条に固執し、それを売りものにする行動そのもが表面に出ることについて言えば、そのことをもって世界に誇り得る憲法であるとは、言えないなあ、とぼくは考えます。

 

 

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