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2009年6月

2009年6月28日 (日)

単純化の効用

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 無駄を省いて経費やコストを下げるというのは、つらいものがあります。
今、うまくいっているところから、無駄を見つけるのが、一苦労ということもありますが、その結果としてかならずしも、気分爽快、快適な仕事になるとは限らず、ときとして仕事の大切な美しさが、損なわれることもありますね。

たとえば再生紙の利用とか、クールビズとかがそうですね。聖域なき無駄減らしで、知らず知らずに、医療の重大な後退が起きていたのを知ったのも新しいことです。

事ほど作用に単純ではなかった。無駄と見えて実は有用であった、ということもありました。一方の無駄減らしは、新しい無駄を生む、という教訓でもありました。

無駄をなくして財源を確保する、という単純化した言葉は、聞こえはいいですが、果たして結果はどうなるのでしょう。

単純化した思考は、一見わかりやすく、しばしば自己の擁護に利用されるようで、公共放送の使命の遂行を掲げているNHKに対し、番組内容の再考を促す意見に、経営委員会は、「経営と関係ない」と言う単純なひと言で一蹴したということを聞きます。

多様な問題点を都合のよい単純化で押し通すには、無理があるように思います。

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2009年6月21日 (日)

ウミガメ

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 天声人語は、よい文章の手本のように学校で教わったのですが、あるときから、まったく読まなくなりました。
そのきっかけは、ウミガメの死のことを書いた天声人語を読んだのが始まりでした。

死因を調べるために解剖して分かったことは、そのウミガメは、何を思ったのかビニール袋ばかりを食べていたのです。ビニール袋が胃にたまって消化できないままに餓死していた、ということです。

自らの生命のいとなみを、どうなったのかわけも分からずに絶たれるてしまう身の不運です。


問題は、海へのごみで環境を悪くした人間にあったのですが、そのときの天声人語先生は、そのビニール袋を海にすてたのは、あなたかも知れません、と結んだのです。

暗に自分ではありません、というあたり自らを高所に置き、まるで自分は、ビニール袋をいっさい使用していないとでも言うような天の声でありました。

人間社会において、大義を成すに小事の不肖が生まれるは、常のこと。

その責任はすべてわれらが共にするのがよろしい。

でもまあ、些細なことにこだわり、以後読まないというのも、われながら狭量ではあります。

 

 

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2009年6月 7日 (日)

ひそかな楽しみは、

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 批判することは楽しい。なぜだろうか。日常、ぼくの不満のやむことがない。
もどかしい世の情勢をなげくのも、かの独裁者を非難するのも、上長への不満も、自分の尺度に照らしてのことです。

自分の信じるものを、よりどころにしています。でも、自分は正しい、と思うことは、果たしてそれが絶対なものかどうかは、ぼくにはわかりません。

ひとは単調さに耐えられないようにできていて、いつも変化を求める。その結果として、はけ口が不満として出てくるのかも知れません。
もしかして、他を批判することは、生きるに必要な無意識にでてくる自然な自己コントロールの摂理かも知れません。

ひそかに楽しんでいる面もあるからです。
不平不満は少なからず自分の弱さをカバーして、なぐさめにはなります。
けれども、それを聞かされる側に立てば、どことなく哀れみ覚え、期待を裏切られることになるのだろうと思います。

「ひとのことより自分のことを考えよ」と著名人の言葉は、ぐさりと胸に刺さりますが、他を批判するのはたやすく、なかなか自省するのは難しいです。そこまではわかっています。

 

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