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2010年4月

2010年4月26日 (月)

夢からさめてみると

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仕事上でもプライベートでもそうですが、何かすっきりしないなあ、という時、考えてみると、自分が求めているものが、どうも得られそうにないと何となく気づくことがあります。

人は人に対して何かを求めることによって、希望を見出そうとしているようです。
頼りになる、と信じるかどうかは、お互いのそこまでの良好な関係によって、それと判断しますね。つまり信頼関係は、言葉ではなく行動によって醸成されるように思います。

したがって、初対面においては、信頼できるかどうかは、判断が難しいです。しばらくして、始めは見えなかったものが、近づくほどに見えてきて、見解の相違あるいは不誠実な部分が見えてしまうということがあります。そうなると、しだいに期待はしぼんでしまいます。

そして、往々にして、人々は、会いかつ別れていきます。実に、信じるかどうかは、難しいです。
人はそういうことを経験してきたので、よほど鉄面皮の人か、無定見の人でないかぎり、はじめて会った人に、「私を信じてほしい」 などとは言わないでしょう。そこには、消極的で、わざわざ疑念を抱かせるよう雰囲気があります。ビジネスの上なら、なおさら不利です。

人は求めているものが得られないと分かると、急速に冷めていくのも、どこか、むなしいものがありますが、つぎのステップへのチャンスではあります。

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2010年4月18日 (日)

性急に理想を追えば迷路に入る

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できなかったら、どうするなどというのは、弱い発想だ、言うまでもなく命がけで体当たりして行くんだ、とおっしゃっていますが、命をかけるような橋を渡って行くということは、危険率が高い、成功率が低いことを示しています。

そうですね、物事をなしとげるためには、確固たる意志が必要だとは思いますが、それ以上に必要なものは、現実の認識と先を見る深い洞察力でしょうか。

理想を描いて、その実現にやみくもに突き進んでも、現実が見えていなければ、道筋は定まりません。もはや理想を追うのは、夢想でしかありません。

もちろん理想をもとめる気概を失ってはなりませんが、その方法をあやまると、理想の実現に一生けんめいやったつもりが、いつのまにか、最も不適切な行動に進んでいるということになりかねません。

だから現実を見ることが必要で、オバマ大統領がいうように、戦争は、悲劇の面と平和を保つ役割をもっている、というような、現実の一面を鋭く見ておく必要があります。

もし、現実を見すえる人であるなら、塩野七生さんの言葉を借りれば、現実と妥協するのではなく、現実と闘うことによってそれを切り開く道を進んで行く、でしょう。
性急ではなくゆっくと理想に向かって。

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2010年4月11日 (日)

自由な空間

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自分の思いのままに、青空の下に飛べる自由ほど愉快のものはありません。自由にやってよい空間があれば、のびのびとしていられます。他の人に何も影響を与えない自由は、自分だけの空間です。
これは、教えてもらわなくても知っています。

一方、選択や行動、言ってよい自由、青信号で渡ってよい自由、というのは、他者の自由に影響を与えることがあり、秩序の維持と約束の上にたって保証された自由。これは学校で教えてくれます。

国会中継の録画をインターネットで見ていたら、稲田朋美さんが質問に立って、何年か前、「大阪弁護士会が、卒業式において校長が、国旗に対して起立しない自由、国家を歌わない自由があるんだと、前もって生徒に教えなかったのは、人権侵害だという勧告書をだした」と言っていました。

人権と正義の道を使命とする弁護士さんとしては、その考えはちょっと偏執的に思え理解できませんでした。

国旗に対して起立しない自由を教えないのは、けしからんと極論するなら、学校へ行かなくてもよい自由、整列しなくてもよい自由もある、と教えなくてはならぬ。

と思いますね。

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2010年4月 4日 (日)

夢からさめるのは、

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やりたいことがあれば、どんどん歩いて行けます。人は興奮をもとめるのか。人は本来的に闘争をもとめる動物なのでしょう。
かって、春どきにあるとストがよく行われましたが、いまは見なくなりました。互いの協調性が成熟して、より良い方向に協力する風潮になってきました。労組不要時代を予測する人もいるようです。

そのような時代、シーシェパードや一部の組織にみられるように闘争をもとめることに、人生の意義をみているのは幻想でしょう。
結局、近視眼でストレートなところ、謙虚さをもたないものは、不毛な運動をつづけるしかないのでしょう。闘争のために、ある種の権力をもったとき、その魔力は、あともどりを許しません。

夢から覚めるのは、その権力の座が終わるまで、できはしないのは、歴史ものがたりから学びました。いわゆる自浄能力、というか自制心をもつ人は、横柄ではありません。人として重みがそなわっているように思います。

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