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2010年7月

2010年7月31日 (土)

流されまいぞ

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主体性などうまれるはずもない。画一性をもとめてどうする。岡田外相は、
 「将来の理想は、
日中韓共通の教科書を作ることだ」
と見解を示している。

多様性があることこそ、創造的発展が生まれる。他国間の歴史は、明白な物理現象ではなく、利害とイデオロギーの衝突であって、相互に細部の裏面において理解しあったものでもなく、後の世に一義的に定めえるものでもない。

大きな流れれの変化は、自然的かつ必然的なものであって、その細部についてことの善悪を糾弾できるものでもない。
歴史のその場に立つことかなわず、最早その空気を吸うことはできない。いたずらに後世の判断基準でさばくことは、逝った人たちへの冒涜にあたいする。ましてをや感情論の外圧にながされ、自負と自立、自責を持たずして、異なる国の共通の教科書をつくるなどありえない。

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2010年7月20日 (火)

ムダの効用

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そもそもムダなど、そんなにあるはずがない。ムダはどこから生まれるのか。誰しも、より良い方へ良かれと思って始めるのは確か、成果を上げつつも、時間が移れば、事情も変化し他の手段にとって変わり、ムダを生むこともある。

しかしムダの効用も大きい。ムダは本来、小さなもので、言わば、なくてはならない潤滑油のようなものです。それを取り除くことによって財源を生むようなものではないと思うのです。

また、ムダがあるからこそ、あそぶこともでき、新たな創造へとつながる。目先の効果だけにとらわれてしまえば、将来見えてくるはずのものが、ますます見えなくなってしまう。
目に見える効果だけに価値判断の基準をおけば、大事なものを見失ってしまう危険もある。

ムダのひと言で切り取られてしまえば、やりたいこともできず心の中は、疲弊してしまう。そうして、時が過ぎて見ればいつか、栄枯盛衰のごとく、優位性を失い大きな後れをとったことに気づくこともある。その間の不利益は取り戻すには容易でない。ムダを無くすことによって、より大きなムダを生むことになりかねなません。


参議院選挙の前日の全紙版の新聞広告は、「逆さにしても鼻血が出ないところまで削減を決意した」というものでした。
語調の厳しさゆえに、夢も希望も抱かせず、息のつまるような感じです。計る尺度を持たない決意は、空疎にひびきます。

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2010年7月 6日 (火)

知らず知らずに流されていく

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それぞれの個人は、応分に役割を果たすべきで、それでこそ、独立、自尊の気概がもてるというものです。

こども手当は、こどもの成長、発達のために支給されます。払った税金から、何らかの報奨金をもらえるなら、はげみになりますが、ただでお金をもらうのは、人の気のゆるみ勝ちになります。

税金から、生活の支援のため、個人にお金を出すというのは、貰えるなら貰って当然という感覚になります。それが常態化したなら、有難みがうすれ、自立心を失わせ、人のためにはならないでしょう。

そういう制度に、しだいに慣れてしまうと、失敗や困難にあったとき、抵抗力が低下し、責任を外にもとめる人も出るやも知れません。自分で道を切りひらく意欲を失わせ、政治が悪い、なんとかしてくれ、という思いに陥りやすくなります。

いま、年収の額によって消費税を還付してはどうか、という案が示されていますが、これも個の尊厳と責任は平等にあるべきところ、年収の差によっていつしか分けへだてを生みはしないか、思うのです。

弱者を救済するというのは、いいのです。でも、弱者にも義務も尊厳もあるわけですから、救済は、眼に見えない形でなされるべきです。つまり、問題を解決するのではなく、問題そのものをなくすることはできないか、ということです。

いわゆる、ばらまきは強者のおごり、目先で考えた安易で知恵のなさを見た気がします。世情の移り変わりは、些細なことの積み重なって、知らず知らずに意識しない方向に流されていくからです。

プロであるはずの政治家が、歓心を買おうとするあまり保身に走ると、私たちは、それと気づかずに、ひ弱で怠惰な精神に落ちていく道を歩むことにならなければいいが、と思うのです。

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