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2010年10月

2010年10月25日 (月)

不可解な誤解と反省

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反省という言葉は、自らのあやまちを認めるときに使うけれども、ひとから非難されたときの自己弁護には、使用しない。
国家公安委員長の岡崎トミ子氏は、韓国の日本大使館まえでの自らの反日行動を予算委員会で、ただされたとき、

  「誤解を受けた、ということについて反省をいたしております」
と答弁しました。このとき、拍手が起きたけれども、どこが拍手に値するのかわかりません。なぜかと言うと、誤解の意味も、反省の意味も分からない上に自分の行動に対してではなく、”受けた”という受身なことに対して反省という言葉は照応しないからです。誤解されたなら、正すべく抗議すべきで、反省はないのです。

誤解を受けた、という紛らわしい言葉と、反省という言葉をつかって、聞く者をあたかも反省しているように見事にごまかされました。

後日、10月22日の法務委委員会で、実は何も反省していなかったことが、稲田朋美さんによって明らかにされました。

行動そのものについては、自らの確信にもとづいて行ったことには、今も変わりなく、反日と見られたことを反省しているということでした。韓国の反日デモへの参加は、紛れもなく反日行動であり、それは誤解ではなく、衆目の一致する事実です。ご自身の行動に対する反省はないのです。ですから、氏の言われた、反省という言葉は意味をもちません。あわれむべきは、何かが欠落した結果、かたくなに一方に走らせることにあります。

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2010年10月20日 (水)

見誤った閉塞感

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20年来の閉塞感なんて、ありはしなかったと思います。いつだって抜け道は、そこにあったんだと思います。平穏な道より、困難がある方が緊張があって勉強のしがいがあるというものです。

ときには閉塞感があるかも知れませんが、いくらなんでも20年はないでしょう。20年来の閉塞感と、とらえているのならその覇気のなさは、自閉症にかかっているのかも知れません。

外圧や内圧を閉塞感と感じるなら、それは政治家に向いていないのではないか、と思ってしまいます。外圧も内圧もないよりは、あった方がいいです。刺激がなかったら、何も起こりはしないし、思考も停止します。

平穏無事をめざすあまり、外圧、内圧にたいしてなんとかして、それをかわそうとする、いわばかっこよく見せようとする弱腰ではだめです。なぜに、深く考え抜いた対抗する強力な自論を展開しないのか。

かって、田中角栄が死ぬ覚悟で中国にのり込んで、頑として自論を展開し、言いなりにはならず反論したことが、結局相手から信頼できる男と認められたのは、有名な話として聞いています。それは結果として、毛沢東にけんかは終わりましたか、と言わせたところによく表れていると思います。

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2010年10月11日 (月)

庶民の代弁に喝采

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流れる霧が一瞬に晴れるように、かって、こんなに分かりやすく説明してくれた人は、いませんでした。衆議院の本会議で代表質問に立った稲田朋美さんは、つぎのように言っています。

領土に関わる問題について、中国が努力するとか、譲歩するとかいうことはあり得ません。なぜなら、中国は、尖閣諸島を間違って自国のの領土と思ってしまったのではなく、日本の領土と知りながら実行支配しようとしているからです。

頭の中では分かっているつもりでも、言葉となっては中々でてきません。簡単明瞭に言い当てられたこの言葉は、庶民の代弁のような気がします。
いま、嫌疑不十分なものは、どこまでも不十分、密室でなされたことは迷宮であり、明らかになることは、ほとんど期待できない中で、このような明快な論旨にであうことは、すばらしいです。

かって、予算委員会の答弁で、亀井静香大臣をして、かねがね稲田議員の論旨には一目置いていた、と言わしめたことがあります。これも、衆目の一致した代弁であったような気がします。

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2010年10月 5日 (火)

寛大なひと

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フジ子・ヘミングさんの日本の自宅を訪ねるテレビを見ました。訪れたのは、安住紳一郎さん。たくさんの猫たちがいる部屋もある。広いフローリングの床、住みごこちのよさそうな雰囲気、めずらしいものを発見していく安住アナも、見るものも興味津々でした。

そこで、スタッフからスリッパを渡され、はっとする安住さん。靴のまま入っていたことに、初めて気づき、「入っていいと言われたもので・・・」と恐縮しきった安住さんでした。

「いいのよ、全然構わないのよ」 「いいのよ」 とフジ子さん。

構わないの、と繰り返すその言葉に、彼女を貫いている一本の筋のようなものを見た気がしました。
それは、何年か前にテレビに出ていたフジ子・ヘミングさんの一つの場面を想いだしたのです。
東欧の国でどこが好きですか、と聞かれて、

  「そうねえ、床にたばこの吸殻を落とせるところって、いいわねえ。」
  「そういうのって、寛大じゃない。」

と、どこの国とも言いません。日本国籍も与えられず、避難民として再渡欧の手続きせざるを得なかった、ことなどと重ねあわせてみれば、だれを恨むでもない。大らかな性格のようす。
寛大さを求め、自らもその寛大な心をもち続けて生きてきたような、彼女の人生を想わせるのでした。

もうひとつの想い出す場面は、ソリストとして演奏しているとき、

  「オーケストラのおじさんが涙を流しているのよ」
  「観客の中にも泣いている人を見たわ」
   ・・・・・
  「自分で何かを想い出して、涙をながしているのよ」

と、ひとごとのように言ったのでした。

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