« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月

2010年11月29日 (月)

無限宇宙の渦

101128b

Line01

あるがままにすればいい。 流れにまかせればいい。
良くもわるくも時の運は、波のうねりに似て、浮きつ沈みつくりかえします。
無限宇宙の渦の止まるはずもなく、果てしなく続く旅の過ぎてみれば、一時のよろこびも哀しみも、うたかたのように、たちまち消え去ります。

渦中の人たちも若きころ、一途に道を説いたであろう日々を思います。それとても歳月の流れの中に、世の憂いの多くあるを知れば、行きつくところは、昔はものを思わざりと知るはずなれど、なお学ぶことの嬉しさあるをも気づかず。いたずらに抗うのも哀しい

人は生まれながらに平等という。 それは生涯不変。 ならば、諸事、彼我の問題と定まる筈もなく、だれのせいと問うを得ません。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年11月23日 (火)

目的あれば迷いなし

101123b

Line01

わがままに筋の通らない非難すれば、やがて火の粉はわが身にふりかかる。北朝鮮は、かって高校授業料の無償化の適用除外は、
民族差別だ、と言って断固抗議すると言っていたけれども、日本が無償化適用を決め、事実と倫理に反する教科書の改訂と、支援金が確かに授業料に当てられているかどうかの透明化をもとめたら、こんどは、「条件つき無償化は民族差別だ」 と、またしても断固拒否すると言っている。

国家はよりどころである。朝鮮総連の傘下にある人たちのよりどころとも、また祖国にあるであろう。

広い意味でその人たちを含めて、日本の国家の一員とみるならば、国家のなすことについて、国外からの内政干渉による圧力は不当なものだ。

けれども、朝鮮学校が自国の生徒に祖国からの思想教育を行うことは、それが日本の教育あるいは感情と相容れないものであっても、それはそれで、互いに主権を尊重すれば許容されるべきものであろう。

無償化の賛否が乱れるのは、国の政策として何のために行うのか、という目的を明確にしていないことに、問題がある気がしている。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年11月15日 (月)

感情に訴えても痛くも痒くも

101114b

Line01

尖閣諸島沖での中国船衝突のビデオ映像を日本が非公開としているのは、仙石官房長官の指示で中国に行った細野議員が公開しないと約束して帰ってきたもの、と過日、読売新聞が報道している。

政府はまったくその事実はないと否定している。予算委員会の答弁でも菅首相は、細野議員から、”直接”話しを聞いておりません、と答えた。
これは間接的には聞いた、ともとれる発言だった。

APECでの胡主席との会談では、ビデオ映像流出は、政府が”意図的流出”させたものではないので説明の必要はないので話題にしなかった、という福山副官房長官の話しが伝えられているが、”意図的流出”というの言質そのものが、約束があったことを物語っているようにも聞こえる。中国と約束があったとしても、中国流に考えれば、細野議員個人の約束を政府が守らなければならない理由はない

11月13日の日露首脳会談では、
大統領が国後島を訪問したことは、わが国の立場、そして日本国民の感情から受け入れられない。
と菅首相はのべたという。

この言葉は、前にも聞いたことがある。官僚の作文だろうか。
正しい論理を主張しないで、”立場”とか、”国民の感情”とか、ひとごとのようなあいまいで主体性のない言葉は、日本は本気ではない、と取られるのも当然。少しも効き目はなく、かえって国益を毀損しているのが残念だ。トップに立つものが、消極的では、世情は、沈むばかり。


Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年11月 8日 (月)

意味不明な事実の真相

101107b

Line01

ビデオ映像流出の問題で、中国外務省はつぎのように言っています。
「日本の行為自体が違法、いわゆるビデオ映像でこうした事実の真相を変えることはできず、日本側の行為の違法性は隠せない」

暗にビデオ映像の事実を認めた形ですが、そのことは言わず、行為自体が何を指すのかも言っていません。
違法を違法とも思わない、その中国が違法という言葉を臆面もなく2度も使って強調しました。日本は、違法と事実、真相という言葉に弱い。隠すことかけては、なんでもする中国、日本は隠すことが下手だと笑っている。「
日本の行為自体」という広い意味をもたせた言葉を意識して使っているようです。


「中国の行為自体が不純で悪質、いわゆる恫喝的言動でこうした事実の真相を曲げることはできず、中国側の行為の不当性は隠せない」

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

2010年11月 1日 (月)

欲しくない国益

101031b

Line01

かって韓国の反日デモに参加し、日本大使館に向かってこぶしをあげた、現在の国家公安委員長岡崎トミ子氏は、人間の尊厳という言葉がいたく気にいったようだ。人間の尊厳を回復したい。と国会において、質問には答えず、何度も同じ答弁をくり返されていた。
人間の尊厳とは、何であろうか。戦後補償によって、人間の尊厳が回復できるものであろうか。

生命創造の偉大なるメカニズムによって、人間は、遥か遠い祖先より、受け継がれてきた生命体なのだ。人は、この世に生をうけ、その時から、ひとしく生命の尊厳を有し、かつ平等である。優れていた脳も病に倒れれば幼稚化するし、若くしても時には落とし穴に落ちることもある。あやまちで罪を犯すこともあるであろう。

しかし、輝きをなくしても、いかに汚れていようとも、人類の同胞として、個々の人間の尊厳は、失なわれることはない。すなわち人間の尊厳は、その人の個性に左右されず、不変であると考える。死してのちも人の尊厳は厳然として遺るのである。人は滅すれば、仏になるという日本人の考え方は、根底において、人の尊厳さを象徴していると思う。人間の尊厳は、それ自体、人の判断によって取り上げることはできない。また、大それて与える権限ももたいものであろう。加えて、人間の尊厳という言葉でもって、自論の正当性の優位性を得られるものでもない。他論を非難できるというものでもない。

人間の尊厳を回復したい、と叫ぶ、そのような逆上した行動は、往々にして、思いあがりである。一方的な言い分だけとりあげ、他方の確かな証拠もないことに目をつぶっていることは、人間の尊厳の冒涜であることに、氏は気づいていない。

岡崎氏は、自身の行動が国益に資するものだ、と反論しているけれども、そのようなことで国益が生まれるはずはない。よしんば、国益に資することがあったとしても、日本の国の名誉をきずつけ、卑屈になって得られる国益など、私は欲しくない。

岡崎氏のその行動が、国益のためであったと言うならば、それは韓国の人たちを利用したということであり、裏切りにもなりかねず、もはや純粋な善意にはなりえない。なぜなら、戦後補償という名の金銭で回復しようとする心は、上からの目線である。また、その人たちの名誉を汚すことにもなりかねないからである。どうか、目をさまして欲しい。

Line01_2

 

| | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »