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2010年12月

2010年12月30日 (木)

さ迷う精神

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米マリナーズのイチロー選手がNHKニュース9で語っていました。打撃不振に陥ったとき、・・・
  「何かを乗り越えようとするとき、精神力ではなく、技術なんですね。ぼくはそう思っています」

と、悩んで苦しんだ末に、新しい技術を生むんだ、いや、苦しまなければ技術は生まれないんだ。と言っています。がむしゃらに精神力だけで進んでも道はひらけない。というイチロー選手の言葉は至言だと思います。

精神力というのは、余計なことは考えないで、いまのままで突き進むということですから一歩まえにでることはできないと知らされたのでした。成り行きにまかせるのではなく、論理思考に徹するということがイチロー選手のいまを築いていると思います。

話しは変わりますが、いわゆる政治と金と言われ、問題となっているのは、小沢一郎さん個人の問題なんですね、ですから三権分立は関係ないんです、国民の生活が第一、議会制民主主義などとはまったく何ら関係はないはずなんですが、個人的なことを国政を結びつける不遜な態度は、何かが欠けているように思えてなりません。

その欠けているが故に論理が飛躍し、強引ともいえる今までのやり方が、横暴な言動を生み、それがリーダーシップと間違われる。これも精神作用が一因のような気がします。

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2010年12月22日 (水)

視野の共有

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あらゆる判断は、その人の観点にもとづいてなされる。観点は、一つとはかぎらない。多く持てば持つほど、視野は広いと言える。広い観点に基づく判断は、より最善に近くなる。

一方、利害と感情に走れば、視野は狭くなり、判断は容易になる。また、目的がしっかりしているので、その判断が最善であると信じる力は強い。

沖縄の仲井真知事は、菅首相の言う「ベター」を「バッド」だと言っているので、両者で納得できる最善の方法は、無いかのように見える。
いま始めるべきことは、互いの観点を確認することではないだろうか。そして、つぎに互いの観点を共有する努力をすることであろう。2者のみならず、多くにの大衆が一緒になってのことである。それが成れば、
皆こころ豊かになるはずである。実は、仲井真知事は、そうした政府の確固たる考えを期待しているのではないだろうか。「バッド」という言葉は、強い指導力でもってそれを乗り越えろ、という暗示なのではないかと思う。

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2010年12月14日 (火)

心酔した人

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もう、すごい、とかしか言いようがない。日本を動かしているっていう感じだ。と小沢一郎氏を絶賛したという橋下大阪府知事の記事を読んだのは、去年のいまごろでした。何をもってそのように感じたのかは、伝えていないのですが、小沢さんの話しを聞いてみると、理屈を言いませんね、結論だけを断定的に言う。説明はないんです。根拠を言わないから聞いていて、迷いようがありません。

 「これは党というよりも全国民からの要望でございます」
 「私の潔白が証明された」
 「官僚に騙されているんだ」
 「三権分立の立場から立法府が議論するのは妥当ではない」

というように普通人なら、言葉の選択に迷うことでも、ずばりと飛躍して言ってしまう。この自信たっぷりの言葉が人を惹きつけるのでしょうか。かって、亡くなった人を寝ているんだ。これは定説だ!と、断言するあやしげな教祖がいました。
それは、常人がもっている安全ブレーキが欠落しているのでした。欠落したがゆえにその個性は特異なものになります。取りまく
女性たちも、心酔したようす、真剣そのものでした。まさに、心酔は盲目なりです。

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2010年12月 7日 (火)

ほろ苦い蜜の味

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突き落とすのがすきなんです。突き落とされてきたから。と個性派のある女優が言っていましたが、厳しい指導と不断の努力があって、はじめて花が開く、と聞こえました。

ひとはなぜに個人攻撃が好きなのか。テレビや新聞は、かって人気の女子アナが未成年者に酒を飲ませたとか、あるいは覚せい剤をめぐる女優のスキャンダルを連日のように流していました。いずれも過度に個人の人間性と将来を傷つけるものであったと思います。師弟の間柄ならともかく、衆人の中で突き落としは、無残です。

いままた、酒の上でのトラブルでおおよそ庶民の生活とは無関係なことをくり返し話題として取り上げています。芥川龍之介は、世論は私刑である、と書いていますが、いまの時代、その世論は報道によってつくられます。
個々人の情報には過度の反応を示しながらも一方で、他人に対しての報道は、政治を動かしているわけでもないのに、多分に一市民への個人攻撃のようにみえます。おもしろ半分であり、甘美な他人の不幸であり、そのひとの人権はあまり尊重されないように見えます。有名税としてはあまりに高過ぎる気がしています。

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