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2011年4月

2011年4月23日 (土)

ふるさとの月夜

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月光ほど清浄なものはありません。月夜にでてみれば、あたりは冴え返り、降る光に身も心も洗われます。モノトーンのくっきりとあざやかなコントラストと静寂は、思わずわれを忘れることもあります。
ドナルド・キーンさんは、京都の下宿時代のある日、龍安寺の縁側に座り、月光を浴びていました。ついじや石庭に影を落とすさまに見とれていました。小さな音がして気がつけば、住職の奥さんがお茶を置いてくれたのでした。そのような体験は誰しも忘れらないと思います。
と語っています。

古いビデオを整理していたら、キーンさんの文化講演がでてきたのです。キーンさんは言っています。明治時代に福沢諭吉などは、海外の文化の知恵に学べと言っているが、日本の文化を正しく世界につたえよ、とは言っていない。日本の若いひとたちに頼むわけですけれど、もっと日本の素晴らしい文化を世界に広め、新しい世界文化のために努力すべきだと思います。私が長年日本文化を研究してきた意味は、そこにあると思います。

日本に魅せられ、日本を思うこころに、胸を打たれます。この夏ごろまでに日本国籍を取得し永住する考えを示されています。その一途な清浄さ、キーンさんの体現は、ともすれば、今の日本人の中にある自ら体験しない過去をさげすむ、内なる汚れに対する警鐘であるかも知れません。

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2011年4月10日 (日)

抑えがたい心の動きの静まるとき

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 前後の見境がつかなくなることを逆上という。頭に血がのぼって、ものごとの筋道はどうでもよく、只々、自分のものと言うばかり。抗議はする。しかし、まったく話し合うつもりはない。自己の固執に走るばかり。「天地がひっくり返っても、我われのものだ」 という。

そこには、論理というものはない。でも、そう言わざるを得ないところに、異論のあることを一応認めているのだった。双方の異論がぶつかって問題となっている渦中で、力尽くで、既成事実化をもくろみ、物理的に支配を増強しようとする動きは、問題の解決に向かうものでもない。

そのことが正当に見えても、一方から見れば、それは、実効支配でも何でもなく、実力による支配、つまり、力による現状の打破と映る。
 問題は、領有権があるのか、ないのかという一点にある。その一点について、世情に広くして、冷静に論議を尽くすようになれば、しだいに解決に向かうはず。少なくとも互いの思いは理解でき、平衡を保つことはできると思う。

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2011年4月 3日 (日)

秩序、冷静は、日本人だから

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秩序ある行動とは、なんであろうか。冷静とはどういうことか。体面を重んじ、恥を恥と思うことを知る日本人は、外からどう見られるかということを気にする。いつも判断基準は、他人がどう思うか、ということによって、身の処し方をきめていく。
外に対して自分の意思をあからさまに出すことはまれです。相手を気遣うのです。自己主張がへたで、自制することが美徳であるような気がしています。そうすればいつか相手が分かってくれるはずだと。

自分の考えを他国に押しつけることもしないし、相手の言うことも一理ある、とうなづく。
あらゆる意味で、変化は、最大のチャンスでもありますが、日本人は、変化に対して、打算が働かないのです。
変化を、どう受け入れるか、ということから始めます。だから、日本人の秩序も冷静も、打算が働かないための結果である。とも言えます。

大震災で略奪が起きないのが不思議だと世界が言っています。ある変化に対する打算は、ときとして自己中心的であり、論理を越え、自己の情に走り、礼をも捨てさせます。おおよそ美意識に欠けます。打算が働けば、他国の教科書に口出しするようなことが起きます。

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