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2011年10月

2011年10月26日 (水)

歴史ある美の礎

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 国としての意思を外にむかって言うとき、そこには国の美を礎石とする姿勢をもっていなければ、聞くものに響かないでありましょう。
その国の伝統文化や美意識に裏打ちされた品格と確かな礎によって成り立ってきたという矜持があれば、国際舞台において自ずと出てくる言葉は、自信に満ちて、信頼に足るものものとなるでありましょう。

韓国は、10月11日の国連総会第3委員会(人権)において、もはや半世紀以上も過ぎた、いわゆる慰安婦と呼ばれる人たちの救済を世界に呼びかけました。おそらく他の国では出てこないであろうことが、出てくるところに、かの国らしいと言えなくもないと思うのですが、その立ち位置は、どこにあるのだろうかと考えてしまいます。

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2011年10月10日 (月)

民主主義の多用

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公判での意見陳述、その後の記者会見と、小沢一郎被告は、意図して主張文を2回読み上げました。そこに出てきた言葉は、民主主義が8回、国家権力が7回でした。
元秘書らと合意の上で虚偽記載をしたかどうか、が問われていることに対して、多用されたこの言葉は、論点のすり替えに等しいです。

小沢氏個人の嫌疑に対して、国家権力と民主主義という言葉は、かけ離れています。国家権力の乱用がなく、民主主義は踏みにじられていない、と考えますが、もし多くの人がこのように信じるなら、小沢氏の発言は、正しくない論理展開を意図的に行ったものであり、詭弁に値します。

そのことによって自己有利に国民を欺こうとするなら、もはや国会議員の資格はないと思います。国民の負託を受けていない素人と、検察審査会を非難するけれども、秘書である身内の証言をもとに、証拠がなくば、裏で何をしてもよいなら、法は法として対処するしかないです。

それがための検察審査会であって、その議決は、法のもとに行なわれた正当なものと言えます。たとえ、後の結果として審決が否定されようとも、検察審査会のあり方とその議決は、民主主義そのものであることに、小沢氏は気づいていません。

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