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2012年2月

2012年2月26日 (日)

不適格労働者の暴走

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 自制と調和を忘れたとき、恐るべきマイナスの副作用がでる。この自覚を失えば、われわれは自由、平和、平等にも、何の規律もなく、勝手にしたいことをする衆愚社会に至るであろう。これは、先ごろ文芸春秋に再掲載された論文の一部で、日本の凋落に警鐘をならしているものです。

最近、国旗国歌に係る教員の不起立に関連する最高栽判決がありました。校長による起立命令は、思想および良心を侵すものではない、という考えに立った判決でした。4人の裁判官のうち一人が反対意見をのべています。「教員の不起立行為は真摯なものであり、『日の丸』に向かって起立することは譲れない一線を超え、思想および良心の核心を動揺させる。教員の精神の自由は、取り分け尊重されなければならない」 と補足で一人反対意見をのべています。

この判決文を読んで不思議に思うのは、視点は教員の救済の可否にあって、社会全体の規範には触れていないことです。それは第一に勤務中であること。第二に公共の場であること、第3に未成年者の前であること、などが無視されているのです。そこには自ずと制約が生じます。教員は労働者であり、俸給を貰っているのであれば、労働環境においては、個の思想をはなれ労働に徹すべきです。不起立は教員個人の自由の保障範囲ではないと思うのです。

これは教員の立場にいる者だけが成し得る、自由という名の見せるための権力の濫用だと思います。もっと言えば私には、教員の暴走としか見えません。かかることは、生徒および一般人に対して少なからず思想のインプリンティングに影響を及ぼすこと思えば、社会に対して重い責任を問われるものです。とても真摯な姿とは映らず、自制と調和からはかけ離れていると思うのです。国民の自由および権利は、濫用してはならない、と憲法12条に定めています。
また、良識の集団と思われる大阪弁護士会、東京弁護士会、日本弁護士連合会などは、ずれも反対意見と同様の声明を出しています。裁判というのは、多数社会は問わず、個のためにあるのか、理解しがたいものがあります。

 

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2012年2月12日 (日)

仕組まれた巧妙な策略

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 交わした約束は、果たすのが日本人の美意識であり信条でもあります。法もまた言いかえれば約束と言えましょう。その法は、平和を維持するためのであり、国民のためにあると思います。
2月9日の予算委員会で、稲田朋美議員の質問に対して、野田首相も玄葉外務大臣も、北方領土あるいは竹島は、「法的根拠のない占拠が行なわれている」、という答弁がありました。政権交代してから幾度か、複数の閣僚の口から出た言葉であり、頑なに「不法に占拠している」という言葉を拒否させているものは、何でしょうか。誰が、何時から、「不法に占拠」という言葉を禁じたのでありましょうか。

法的根拠がない、という言葉だけで見れば、それは規制あるいは保護すべき法がない、ということにも解釈できます。そうだとすると、ロシアあるいは韓国が占拠していることに対して、彼らを保護することも排除することもできない。その意思もない。つまり、照らすべき法がなく、法に触れないから許される状態にある。ということになりますね。

日本の政府は、北方領土も竹島も日本の領土である、と言いながら、一方で、法的根拠なく占拠が行なわれている、という表現を繰り返し答弁している。これが政府の統一した見解、とまで言っている。
これでは、韓国やロシアの不法占拠を事実上、容認しているに同じです。国際裁判に持ち込んだとき、そこを突かれれば重大なる失点になるのは必定です。これは、国民への欺瞞、背信行為ではなかろうか。

「法的根拠のない占拠」と「不法に占拠」は、似て非なるものです。何処の、誰が、この「法的根拠がない」という、第3者のような言葉、巧妙で策略的な言葉を発したのか。彼の国との友愛精神によって、秘して約束したものでないことを願うのみです。

 

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