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2012年7月

2012年7月29日 (日)

日本の義務

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再稼働に反対するデモに鳩山元首相が参加して気勢をあげたということですが、組織の主催者の意図がどこにあるかはともかく、いわゆる市民参加のデモというものは、身の安全と生活の安寧を願うもので、いわば感情の産物、そこには、国全体の成り立ちはどうか、という視点がありません。

市民の立場とすれば当然とも言えますが、自分たちが我慢すればそれで何とかなるというものではなく、いま日本は、日本だけでは成り立たず、諸外国の中でどのような国力をもっているかが大切、その力あってこその各国との均衡、友好関係、そして国民の生活が守られていると思います。

ただただ、恐れるばかりで、難事を乗り越えようとしない、市民の中に没する、鳩山元首相の言動は、どうなのか、いつも着ている衣服だけは立派にみえますが。とるべき道は、事故を克服、それが世界の期待であり、日本に課された義務ではないかと思います。ましてや、日本だけがそれを成しえるのではないかと思います。

 

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2012年7月22日 (日)

原風景の記憶

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にっぽんの原風景は、人それぞれに感じるものがあり、人生において欠かせないものではないかと思います。どこかでカッコーがなき、木立の中でひぐらしが鳴く。その心象風景がこころのどかかで、ノーベル賞のようなものにつながっていく、ということも、おそらく有りえることだろうと思います。

かって、伊藤久男は、山のけむりのほのぼのと、たゆとう森よあの道よ、幾とせ消えてながれゆく・・・、と唄っていますが、こういう風景の記憶は、こころを豊かにします。
つぎからつぎへと問題がおきるにつけ、それほどに風景をみることの大切を思うのですが、いま、再生可能エネルギーとして、太陽光発電に期待がかかっています。あの無機質な黒い空間は、発電所の景観とくらべてあまりにも殺風景です。鳥も逃げていくのではないでしょうか。
アメリカのような広大な土地なら知らず、この狭い日本、年間の快晴日数は、わずか平均28日、あのパネルは、どれほどのものをもたらすだろうか、設備投資の割には利潤を生まない、あのパネルによって、大切なものが失われるのではないか、思うのです。

 

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2012年7月16日 (月)

変質する言葉

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生活とは、生きることの喜びであるなら、人それぞれにやり方はいろいろでしょう。生活は、自ら求めていくもので、与えられるものではない、ということだと思います。国民の生活が第一、と言います。では、第2、第3は何があるの?国民の財産?それとも名誉、あるいは義務や権利、誇り、国民の正義は、どのへんにあるのでしょう。いやいや、やっぱり、国民の道義が第一、4億円ぐらい直ぐに出る、生活にはこと欠かない先生には、この言葉を贈りたいです。

それはともかく、国民の生活は、政治によってなすものではなく、自らの意思によるのであって、国民の生活が第一、と人々が政治に生活を求めるなら、それは自立心をうしなって欲求不満も自制できず、ローマの衰退に同じパンとサーカスへと堕落の道に進むことになるやも知れません。
しかし、そんなことには成り得ない。だれもが何だか浮薄な言葉と、感じ始めているからです。使われ方によって、語感は時とともに変化しますね。

 

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2012年7月10日 (火)

平穏は風波のあとに

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豊穣な漁場がある、漁場支援の開発をやったらいい、それで足りなかったら、何をやるか、国民に考えてもらえばいい。都は、漁業振興や自然保護などのさまざまなノウハウをもっている。と石原都知事は、尖閣諸島の購入について夢のある利用方法をのべています。それに共感し13億円余の寄付がよせられ、現実化に向かって動いています。どうみてもいまさら国が買いたいと言っても、それは無理そうな話しに見えます。無理を承知の上で、あえて言うところの意味がいまひとつよく分かりません。

野田首相は、平穏かつ安定的に維持、管理するという観点から買いたい。ということのようですが、そこには、尖閣の活性化の言葉はないです。ここで、一国の宰相として主権という言葉を胸に刻んでいれば、平穏という言葉は、出てこないはず、と思うのですが、「平穏」、つまり、裏を返せばどこかにに気をつかうということですが、いままで気をつかった結果として良くなったという感じはないです。

あんた日本人?と言いたくなる信じられないようなニュースが流れ、もう疑心暗鬼になってきました。よもや、分断作戦の糸にひかれた、というわけではないでしょうね。きのうの朝、夢の覚めぎわに、かの国に言われてやったのか、という疑問がわいてきて、そう思ってみると、かの国の反発も、脚本どうりにやっているな、と思えてくるのでした、今は、それも薄れてきましたが、いくら何でもそれはないか、・・・・

 

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2012年7月 1日 (日)

慣性の法則とスピンアウト

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道が曲がっていたら歩く方向を変えなければなりませんが、人間は一度歩み出した方向は、なかなか変えられません。これは慣性(惰性)の法則に従うものです。
この場面を車でいうならば、道路の外に出てしまうスピンアウトです。その原因は、2つ。一つは、前方不注意です。わが道を過信するあまり、いつの間にかカーブにさしかかっていることにも気づかない。もう一つは、運転テクニックのまずさが原因、つまり機を見てブレーキとハンドルの操作のコンビネーションが不適切なのです。

これは、取りまきをはべらせて玉座に安住し、諫言を聞かず甘言に笑顔すれば、年をとるほどに鈍くなりますね。
小沢先生の車は、カーブにさしかかっています。先生、選挙と先立つものが目先にチラついて、視野と身体が硬直、前途ある者を乗せて、まさにスピンアウトの危険です。

 

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