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2012年8月

2012年8月29日 (水)

美しさの再考

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古典には、純粋性があります。だれでも時の流れを思わないものはないです。はるかな時代に想いを馳せるとき、一種の言い知れない、あこがれのような気持ちがわきます。そこには、他者をおとしめ、さげすむような殺伐としたものはなく、人間の英知の美しさがあります。

古典の日を定める法案が衆議院を通過しました。法案の趣旨によると、古典とは、文学に限らず、美術、芸能、生活文化、学術にもおよぶとしています。日本には、歴史の中でいとなまれ結実したものが今にあり、私たちに誇りを思わせます。
たとえば、きもの一つをとって見ても、落ち着きと優美さを合わせもつものは、他に比類がない。能、歌舞伎、茶の湯、あるいは相撲においても、様式の美が追及されてきました。美しさというものは、秩序と礼節に通じるものがあります。それが今にして、日本人を日本人たらしめている、と思います。

国が違えば、その価値観も異なります。野田首相は、中国に親書をおくるのだとか、内容は明かされていませんが、その内容に関して、受け取った中国の価値観が真逆ということもありえます。そうなれば、たとえ要望であったとしても、その押しつけは、非礼この上ないものになるかも知れないです。血迷うなかれ、時の政府。

 

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2012年8月20日 (月)

越えがたい情の垣根

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 とかく、知も理も意のままならず、情は勝手しだい。そこで情というものが人の意を強くしているなら、情はバイタリティーの源泉ということもできましょうか。そういう意味で、人は情によって生きている、とも言えると思います。

 島根県・竹島のことを、韓国は、明らかにわが領土、と言っています。言葉は明瞭ですが、どのように明らかなのかわからず、多分に情的なものを感じさせます。
数学者であった岡潔さんは、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうに納得しないという存在らしいのです、と言っています。つまり、いくら正しいことを言っても、情が納得しなかったら受け入れ難いということです。情はある程度にコントロールしないと、めがねも曇り、視界が悪くなりますね。よって起きる日本に対する元凶は、情によって生じているような気がします。

 もとより成熟した社会では、情が理より優先することはありあえないですが、情は、人がもつ尊いものであるという考えに立つなら、いくら正しいものであっても、理が情を越えることができない、ということも現実かも知れません。ここは、いつとも知れませんが、ただ成熟を待つしかないのかも知れません。

 

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2012年8月15日 (水)

感情におぼれ、公正も信義も

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 理性というものは、他者との空間的距離のことか、自己との感情的な距離のことか。誰しも揺れ動き、悩めるこころに、外からの理性に触れれば、さわやかな気持ちになるのは確かだ。
韓国の李明博大統領の言動は、人間の悲しさというものを思わせる。自分たちとは異なる立場から見える景色は、まったく見えず、自分の行動・思考は絶対に正しいと信じ切っているところに、屈折した誤解と底の浅さが見える。人心に対する功名心と私情から離れれば、道理が明らかにになり、理性が与えられるものを、もはや軽蔑の気持ちしかない。

自分の言葉づかい、視点が正しいと信じるものには、世の多様性も普遍的な論理も、礼までも失う。かっての疲弊し停滞した時代に、日本との国交回復を契機にして発展したのが中国であり、韓国であった。日産ブルーバードをはじめ、トヨタ、マツダ、いすゞなども韓国でノックダウン生産を開始し、活況に向かったのであったが、かれらは平和を愛する公正と信義に信頼できる諸国民ではなかった。

歴史歪曲をするものが歴史歪曲だ、と難じる図は、どうしようもないあほらしさがある。ひるんではいられないのだが、政府は毅然と対処する、とまことに日本的、日本しか言わないであろう、曖昧にして中身のない言葉を発し、窮地を深くした。かれらを増長させるに十分だった。

 

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2012年8月 5日 (日)

見たいものと見たくないもの

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言うことは大切、聞くことはもっと大切、自分の考えより他人の考えは、さまざま、その中にひとすじの光るものを見出すことも事実、そいう意味で、政府の意見聴取会も討論型世論調査も、国が多数の意見を聴取する意味はあると思います。

ローマの基礎を築いたユリウウ・カエサルは、「人はすべてが見えるわけではない、多くの人は、見たいと欲する現実しか見えない」、と言ったそうです。見たくない現実は、見ようとしなければ、見えるはずもないですが、見たくない現実を直視できるのが、国政をあずかる人たちの、一般の人たちと違う能力であり、役目だと思います。

討論に参加した人の声に、「電気代が2倍にあがっても我慢できる、原発はゼロにすべきだ」 というのが新聞にでていました。そういう人たちの目には、その選択によって、殺伐となる世の荒廃も、日本の凋落も見えない。声の大きい人の中には、日本の凋落を望む人がいないとも限らない、と思うのですが、電気代ぐらいという局所的な判断の結果、世情が荒ぶることがあれば、いつの間にかこの国の生活も文化も衰退してしまう。ここは、見えている政治家の胆力に期待します。

 

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