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2012年8月29日 (水)

美しさの再考

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古典には、純粋性があります。だれでも時の流れを思わないものはないです。はるかな時代に想いを馳せるとき、一種の言い知れない、あこがれのような気持ちがわきます。そこには、他者をおとしめ、さげすむような殺伐としたものはなく、人間の英知の美しさがあります。

古典の日を定める法案が衆議院を通過しました。法案の趣旨によると、古典とは、文学に限らず、美術、芸能、生活文化、学術にもおよぶとしています。日本には、歴史の中でいとなまれ結実したものが今にあり、私たちに誇りを思わせます。
たとえば、きもの一つをとって見ても、落ち着きと優美さを合わせもつものは、他に比類がない。能、歌舞伎、茶の湯、あるいは相撲においても、様式の美が追及されてきました。美しさというものは、秩序と礼節に通じるものがあります。それが今にして、日本人を日本人たらしめている、と思います。

国が違えば、その価値観も異なります。野田首相は、中国に親書をおくるのだとか、内容は明かされていませんが、その内容に関して、受け取った中国の価値観が真逆ということもありえます。そうなれば、たとえ要望であったとしても、その押しつけは、非礼この上ないものになるかも知れないです。血迷うなかれ、時の政府。

 

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