« 感情におぼれ、公正も信義も | トップページ | 美しさの再考 »

2012年8月20日 (月)

越えがたい情の垣根

120819


 とかく、知も理も意のままならず、情は勝手しだい。そこで情というものが人の意を強くしているなら、情はバイタリティーの源泉ということもできましょうか。そういう意味で、人は情によって生きている、とも言えると思います。

 島根県・竹島のことを、韓国は、明らかにわが領土、と言っています。言葉は明瞭ですが、どのように明らかなのかわからず、多分に情的なものを感じさせます。
数学者であった岡潔さんは、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうに納得しないという存在らしいのです、と言っています。つまり、いくら正しいことを言っても、情が納得しなかったら受け入れ難いということです。情はある程度にコントロールしないと、めがねも曇り、視界が悪くなりますね。よって起きる日本に対する元凶は、情によって生じているような気がします。

 もとより成熟した社会では、情が理より優先することはありあえないですが、情は、人がもつ尊いものであるという考えに立つなら、いくら正しいものであっても、理が情を越えることができない、ということも現実かも知れません。ここは、いつとも知れませんが、ただ成熟を待つしかないのかも知れません。

 

|

« 感情におぼれ、公正も信義も | トップページ | 美しさの再考 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/55470393

この記事へのトラックバック一覧です: 越えがたい情の垣根:

« 感情におぼれ、公正も信義も | トップページ | 美しさの再考 »