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2012年9月

2012年9月24日 (月)

試される日本の力

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奸知にたけた策略だったのでは、ないだろうか。中国の反日デモは、日本を威圧する目的のほかに、民衆による襲撃、破壊活動を背景に、無残な廃墟のような映像を世界に見せることだったのではないか。

ニュース映像は、世界をめぐり、仕組まれた彼ら民衆の演技の迫力は、虚偽であると、どれほどの人々が見破ることができようか。
”中国はほんとうに怒っている”、”これは日本が悪いに違いない”、と思わせる作戦としては、成功だった。それは中国の遠大な計画、自らの立場を優位にもって行き、日本をおとしめる意図をもってなされた。それが功を奏したかどうか、あるいは日本が逆手にとることができるかどうか、いま、日本の力が試されている気がします。

 

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2012年9月22日 (土)

逆の極端に向かう反省

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尊大で、反省もなく、失敗の結果は不問、それが世界の暗黙の常識かもしれませんが、それと違って、自省を美徳とするところが日本人の柔軟性をあらわしていると思います。
反省は、時の流れの収穫物、そこに行きつくまでには、いろいろな要素やそれなりの思考があってのことで、よかれと納得してきた道でありましたが、結果として、いくつかの反省がうまれ、よりよい道を模索することになります。けれども、反省の結果として、反対方向に行き過ぎてしまうということがあります。

その性急な選択は、それまでにつぎ込んだ英知も努力も、情熱さえも水泡に帰してしまいます。なによりもひとの過去や名誉までも否定されることはむなしい。曲がり道は、速度を落としてゆるやかに進みたいもの。

往々にして行き過ぎた反対方向への道というものは、未知であって、必ずしも前途は明らかではないです。いま、いろんな場面で反対という声がありますが、中には、反省のいき過ぎで、逆の極端に向かってしまった、という感じもするのですが、心を広くしてほどほどであって欲しいと思います。

 

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2012年9月16日 (日)

虚構と偽善

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人をだますことを虚構という。虚構は、それ自体に気づかなければ、信じる行動となってあらわれる。民衆は、いつでも無責任なものであり、虚構はつねに激情をうむ。
中国の建国は、1945年(昭和24年)のこと、それまでも、それ以後も、尖閣諸島が中国の領土であったことは、一度もない、と聞いている。尖閣列島を日本領と記す中国からの公文書も石垣市にある。また、尖閣諸島は日本領と色分けした中国の古地図も公開された。にも拘らず尖閣は中国の領土という、中国政府の虚構は、人民に虚構と悟られぬようメディアやWEBの規制によって事実を遮断される。

反日デモは、人民も官憲も、愛国という名の偽善によって、中国そのものを汚してはばからず。倒錯し、徹底した偽善に走り、こころある人民を嘆かせる。襲撃、略奪、放火にいたっては、大国とは名のみ地に落ちたというしかない。

それらのことに関わらず、日本のとるべき行動は、歴史的事実として、その虚構をゆるさないということだ。東南アジア諸国のためにも、世界の平和のためにも。
日本は、中国に対して、東京都が買うのと、国有化するのと、どちらがいいか、説明したという報道がありました。前代未聞、自国の土地の売買・所有権の移動について中国に説明、というのは、素人には理解不能です。国民への背信行為に等しいです。これは、中国を増長させるに充分だった。デモの様相をみるにつけ、中国は急いでいるのではあるまいか・・・。

 

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2012年9月 4日 (火)

予見、それとも体験

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人は体験しなければ決してわからない。ということが真理であるなら、これはもう、時勢にまかせやって見るしかないです。たしかに、脱原発依存という気分は、大勢を占めていると思います。それが民意というものなら仕方ないか。

しかし、政府は国民の判断基準を何に求めたのだろうか。依存率 0%、15%、20~25%、それぞれの場合のシミュレーションのメリット、デメリットを示さないのであれば、漠然として判断は難しいです。出てきた結果は、事故の後遺症の個人差をみているようなもので、それをもって、国のあり方を決めるには、幼稚すぎると思います。

実際に、それを進めたらどうなるか、ということはまだ体験していないです。いま、ソニーやシャープ、その他のメーカーがリストラに直面していることは、他人ごとではないです。何かが変わりつつあるのです。財務省の統計によれば、2000年以降の日本の貿易収支は、平均して毎年、約8兆円の黒字をつづけてきましたが、平成23年は、2.5兆円の赤字に転落でした。かつてなかったことです。その落差は、10兆円。これは、由々しき問題です。おそらく、これからもエネルギーを燃料に頼るなら、貿易赤字は年々累積していくのは、予想できるところです。

そうなれば、不況が不況をよぶのが目に見えてきます。大企業の体力が低下しても、中小、零細企業が元気でいられることなど、ありえないわけですから、知らないうちに生活は壊れ、失業者が増え、人心がすさむ、と思います。
政府は、泣く子をさとすことをせず、民意を汲もうと媚びるなら、それは民意という名の政治の責任逃れ、政治の劣化を感じます。

脱原発という民意は、選ばれたエリートでない悲しさ、心ある政治家や産業人に比し、知的探究、分析の学習の機会も少ない、大局に立つことを知らず、何とかなるんだろう、何とかしてくれよ、というのが多数でありましょう。政治の弱体化が、人心をして自らの未来を切り拓いていくという生命力の驚くべき減退をまねいた責任は重いです。いまのままなら、我慢できる。というのは経験していないから言えると思います。

封殺された、自殺行為に等しい、という言葉もほんとうは、当たっていると思いますが、見たくない光景だったのでしょう。進むべき方向は、いかにして立ち直るか、それを急ぐべきです。大方の世界の期待を裏切らないためにも。どちらに進むにしても、その可能性を究めることが必用だと思います。

 

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