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2012年9月 4日 (火)

予見、それとも体験

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人は体験しなければ決してわからない。ということが真理であるなら、これはもう、時勢にまかせやって見るしかないです。たしかに、脱原発依存という気分は、大勢を占めていると思います。それが民意というものなら仕方ないか。

しかし、政府は国民の判断基準を何に求めたのだろうか。依存率 0%、15%、20~25%、それぞれの場合のシミュレーションのメリット、デメリットを示さないのであれば、漠然として判断は難しいです。出てきた結果は、事故の後遺症の個人差をみているようなもので、それをもって、国のあり方を決めるには、幼稚すぎると思います。

実際に、それを進めたらどうなるか、ということはまだ体験していないです。いま、ソニーやシャープ、その他のメーカーがリストラに直面していることは、他人ごとではないです。何かが変わりつつあるのです。財務省の統計によれば、2000年以降の日本の貿易収支は、平均して毎年、約8兆円の黒字をつづけてきましたが、平成23年は、2.5兆円の赤字に転落でした。かつてなかったことです。その落差は、10兆円。これは、由々しき問題です。おそらく、これからもエネルギーを燃料に頼るなら、貿易赤字は年々累積していくのは、予想できるところです。

そうなれば、不況が不況をよぶのが目に見えてきます。大企業の体力が低下しても、中小、零細企業が元気でいられることなど、ありえないわけですから、知らないうちに生活は壊れ、失業者が増え、人心がすさむ、と思います。
政府は、泣く子をさとすことをせず、民意を汲もうと媚びるなら、それは民意という名の政治の責任逃れ、政治の劣化を感じます。

脱原発という民意は、選ばれたエリートでない悲しさ、心ある政治家や産業人に比し、知的探究、分析の学習の機会も少ない、大局に立つことを知らず、何とかなるんだろう、何とかしてくれよ、というのが多数でありましょう。政治の弱体化が、人心をして自らの未来を切り拓いていくという生命力の驚くべき減退をまねいた責任は重いです。いまのままなら、我慢できる。というのは経験していないから言えると思います。

封殺された、自殺行為に等しい、という言葉もほんとうは、当たっていると思いますが、見たくない光景だったのでしょう。進むべき方向は、いかにして立ち直るか、それを急ぐべきです。大方の世界の期待を裏切らないためにも。どちらに進むにしても、その可能性を究めることが必用だと思います。

 

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