« 予見、それとも体験 | トップページ | 逆の極端に向かう反省 »

2012年9月16日 (日)

虚構と偽善

120909b

人をだますことを虚構という。虚構は、それ自体に気づかなければ、信じる行動となってあらわれる。民衆は、いつでも無責任なものであり、虚構はつねに激情をうむ。
中国の建国は、1945年(昭和24年)のこと、それまでも、それ以後も、尖閣諸島が中国の領土であったことは、一度もない、と聞いている。尖閣列島を日本領と記す中国からの公文書も石垣市にある。また、尖閣諸島は日本領と色分けした中国の古地図も公開された。にも拘らず尖閣は中国の領土という、中国政府の虚構は、人民に虚構と悟られぬようメディアやWEBの規制によって事実を遮断される。

反日デモは、人民も官憲も、愛国という名の偽善によって、中国そのものを汚してはばからず。倒錯し、徹底した偽善に走り、こころある人民を嘆かせる。襲撃、略奪、放火にいたっては、大国とは名のみ地に落ちたというしかない。

それらのことに関わらず、日本のとるべき行動は、歴史的事実として、その虚構をゆるさないということだ。東南アジア諸国のためにも、世界の平和のためにも。
日本は、中国に対して、東京都が買うのと、国有化するのと、どちらがいいか、説明したという報道がありました。前代未聞、自国の土地の売買・所有権の移動について中国に説明、というのは、素人には理解不能です。国民への背信行為に等しいです。これは、中国を増長させるに充分だった。デモの様相をみるにつけ、中国は急いでいるのではあるまいか・・・。

 

|

« 予見、それとも体験 | トップページ | 逆の極端に向かう反省 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/55673766

この記事へのトラックバック一覧です: 虚構と偽善:

« 予見、それとも体験 | トップページ | 逆の極端に向かう反省 »