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2012年10月 7日 (日)

未だ覚めやらぬ夢

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時代が流れ、いかに世に普遍的価値観が存在しようとも、人は気まぐれなもので、長い歴史の中で培われた自分たちの価値観を入れ替えることは、容易にできそうもありません。

中国王朝は、みずからを人類で唯一の皇帝であり、世界の中心に立つとしていた。それ以外は辺境であり、厳格に蔑視していた。また、李氏朝鮮も中国王朝を敬い、みずからを「小中華」と称した。華とは、野蛮に対する反対語を意味し、李朝の立場を優位にするため、背後にあるものを野蛮と見た。当然、日本を人の皮をかぶった獣にするしかなかった。

それらの思想は、支配するものと支配されるものとの上下の「差別」を重んじることが秩序の根幹と考えた。つまり、彼らにとって、対等な位置づけはありえない。野蛮人である日本が前面にでることは、許されないことだった。

しかし、実は、中国王朝も、李朝の考えることも、みな、独善でしかない。空想でしかなかい。文明はいずれの地においても起きるもので、優劣はつけがたいからです。いわゆる中華思想というものは、時代が変わっても歴史を背景に現代に生きている。中国や韓国が、おりふれて日本を見下す気持ちに変わりがない。

だから、日本のいわゆる知識人とか新聞人が、いかに媚びを売っても、何の役にたつものでもない。まして日本が謝って解決するものでもない。

信じがたいことだが、彼らは、かっての支配階級の栄光を想い、旧懐の情に固執する。チベットやウイグル、南沙地域、あるいは日本を蛮族とみている以上、彼らの行動は、彼らの内でのみ、正義がなり立つ。だから恐れるに足りぬ。

 

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