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2012年11月

2012年11月25日 (日)

傲慢に対する素直さの反撃

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青空と緑なす田園の風景は、何かほっとするようなやすらぎを覚えますが、枯野は荒涼として寂しく、果てしない感覚があります。沖縄はどうなるのだろう、夢の中で、出口を探して見つからず、ぐるぐると同じところをさ迷い歩くような感覚は、芭蕉の句のように、夢は枯野をかけめぐる、そんな思いにかられていましたが、それは情報に流された思い過ごし、いま、明るい日差しにつつまれ、青空を見た気がします。

天皇、皇后両陛下のご訪問に対し、沖縄県民のみせてくれた歓迎の様子は、日の丸の小旗をふり、提灯の灯を掲げる人の波が続いていました。いきいきと揺れ動く日の丸の美しさを見ました。幾度となくあがる万歳の声、天皇陛下、皇后陛下ありがとうございます、の声はとめどなく流れていく。素朴と素直さ、勇気を見る思い、熱いものが胸のなかに流れるのでした。

流れてくる情報はそれを伝えず、反対の声ばかり。毎日、朝日は、皇室に対して敬語を使わず、まるで見下す感じはどうだろうか、世襲反対という言葉は、どれほど吟味されたものだろうか。

 

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2012年11月21日 (水)

未熟に意味あり

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成熟とは、こどもが大人になったという意味、清濁あわせもつようになった、というほどの意味だろうと思います。それが「成熟した社会」となると、どこか堅苦しくていけませんが、コンサルタントや評論をしている中国の人のメールマガジンに、「日本は成熟した社会か」、という文がありました。

尖閣棚上げ論が思い浮かんでしまったのですが、「政権ごとに約束を無視する、国会議員でもない一老人に外交と国策を左右されるなど、日本は成熟していない社会」、ということのようです。約束はあったのかどうか、また約束など知らぬ顔というのもよくあるところ。それに、多様な考えの中で、これが正解というのは、難しいわけですが、それらを飛び越えて、だから日本は未熟とするところに、それは、こじつけというもの、何を言っているの、と思わせるのでした。

つまり、その人の不満が、日本は未熟と言わせているようなのです。不満というのは、良くも悪くも、力を生むようで、自論の正当化のために、もう、まじめに考えるのも面倒となれば、関係のないことでも無理に理由づけすれば、何とでもなり、それらしい論理ができあがる。まさしく、彼らの得意とするところでしょうか。
いやいや、そうではない、世のありさまに、こじつけなかりせば、1日も前にすすまぬ、理解も深まらない。すべて未熟なるものに意味あり、とすべきでありましょうか。

 

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2012年11月11日 (日)

有数の都市の品格

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この地に生まれたもの、一時の情念に固まって、国旗国歌に敬意をもたない人が弁護士であることに、不思議な気がしますが、まして、そのような人が首長の顔としてどうなのか、
疑問に思うところです。

あこがれの地、ニューヨーク、ロンドン、東京、と世界の有数の都市に数えられる東京の知事は、それ相当の人としての品格も必要でありましょう。外から見る人の視線は、おおよそ、まともで、きびしいものがあるはずです。いざ開けてみて、普遍的な価値観が共有できなければ、諸国民の落胆は、嘲笑に変わりえます。

オスプレイ反対、基地不要、原発不要などと、後ろ向きのプロ市民の感覚でものを考えるのなら、前知事のように、80歳にしてなお衰えない、内に秘めた強い正義感は、望むべくもないです。五輪招致にしても、都民参加の議論で決めるというのであれば、もはや都政への責任感、活力の無さが見えるようです。

多くの現実的で複雑な要素を取り除けば、彼らプロ市民の思考回路は簡単、云うは易しです。さてその結末は、どうなるのか、都民でなくても気になるところですが、はたして都民の選択は、過たないだろうと思います。

 

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2012年11月 4日 (日)

日本のよりどころ

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範を示すものは、謙虚であってほしいです。一見して真理に見えるが、空しい感覚はどこからくるのか、野田首相の所信表明は、近いうちに、という言葉にたいして、その決意を示すものがありませんでした。その内容は、脱原発に触れるなど、選挙を意識したものでしょうが、かなり先のことに踏み込んでいます。

世に、謙虚な人ほど思慮深く、前向きであるとも言えますが、その謙虚さは身につけ難い美徳でもあります。また、自分をよく思いたいという欲望ほど、根絶し難いものはないに違いありません。謙虚さを持たず、欲望を捨て得ないものは、自分を守りたいだけで、他者の意見は耳に入り難く、機を見るにうとく、そうなると臆病のそしりを免れません。

国政を預かる人の処し方は、見る人の学習効果を与え微妙に世情に影響します。いま、領土にしても歴史にしても日本のよりどころとするものは、日本は、うそは言っていない、という自負、それこそが胸をはって言えるどころであるはずですが、それさえも失われていくような、風の流れはどうしたものか、世相の移りは範に習うことを思えば、政権をたくした不運を惜しむものです。

 

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