« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012年12月30日 (日)

何気ない言葉に・・・

121229a_2

情はひとの心に通うものであり、人の存在そのものが、そこにあるべきものとして期待されるとき、情はひとの心を打ち、生きる力を与える。先日見たBS放送のテレビは、心に残った。若い女医さんは、私にできることは、その患者さんのからだをマッサージしてあげることぐらいしかない、と気づいたという。患者は高齢、いま病床にあって、背中や足をさすってもらっている。 「ああ、いいきもち、若い人は力があっていいわね」、と新鮮な感覚で喜びを口にした。そして、「わたしの病気がどのように変化していくか、よくみておいてね」 と何気なく言った。

その言葉は何を意味するのか、我いのち尽きようとも、人の役にたちたいという思いだったのか、心を打つものがありました。女医さんは、返す言葉を失ってしまったようでした。

病に見舞われたその女性は、若いころの自分の姿を、その女医さんに見ていたのでしょうか、「若いひとはいいわね、やることがいっぱいあって」 と、あこがれにも似て、つぶやくのでした。

昭和大学の女医さんと患者さんの話しです。その女医さんは、「患者さんも先生なんだ、と思います」、「とくにあの患者さんには多くのことをまなびました」、と目を伏せて語った。清らかな水の流れのように哀感につつまれ、沈黙するのでした。

 

| | トラックバック (0)

2012年12月23日 (日)

切って捨てる・ナンセンス

121217a

文明国と野蛮国を区別しようものなら、たちまち差別だ、と非難の声があがるのは見えています。いわゆる中華思想というものをひとことで言うなら、文明と野蛮を区別するものだと思います。現在では、信じられないことですが、その文明の中心が中国であって、その他は、未開の野蛮とみなしていた中華という言葉は、思い上がりもいいところです。臆することなく、中華人民共和国とそれを国名に取り入れているわけですが、外に対しては、中華という文字が消えて、People’s Republic of China となっている。シナ人民共和国ということですね。

世界では、シナあるいは英語圏ではチャイナで通っています。日本だけが中国と呼んでいる。日本のその呼び方は、中華という思想を受け入れているに等しいです。ということは、意識していなくても属国として甘んじているということにもなりかねません。

それを意識してかどうか、石原前東京都知事は、この3月ごろから、シナという呼び名を使っています。いわく、シナがやっていることは、シナが怖いのかね、シナ様もそうなった、などなど、頻繁にでてきます。そこで、シナと言わない方がいいのでは?、という人がでてきました。以下は、石原前都知事の記者会見の記録を引用します。(H24.9.21)

記者・・知事はしきりにシナ、シナと言われますけれども、やはり相手国が嫌がるような呼称を言うべきじゃないと。少なくとも挑発と取られてもしょうがないんじゃないかと思うんですけど、その点いかがでしょうか。
知事・・じゃあ、あの国を何と呼んだらいいの。
記者・・一般的な呼称でいいんじゃないでしょうか。
知事・・何だ、一般的呼称って。
記者・・いや、中国と呼んじゃいけないんでしょうか。(知事の声大きくなって)
知事・・一般的に言うと、中国というのは、岡山県と広島のことだよ。向こうのインターネット見てごらんなさい、あなた。英文で書かれたインターネットには、シナ、シナって書いてある、S・I・N・Aって。
記者・・そういうことを申し上げてるんじゃなくて、向こう側が、向こう様が嫌がることを…。(記者の言葉をさえぎり一段と大きな声になる都知事)
知事・・何で、嫌がる理由はないじゃないか。
記者・・いや、事実、向こうの方が嫌がってると思うんです。
知事・・孫文がつくった言葉じゃないか。
記者・・向こうの方がやっぱり嫌がってる言葉を使うのはまずいと思うんですけど。
知事・・シナ人が、日本人が「シナ」って呼ぶこと、嫌がってるの。
記者・・はい、と思います。
知事・・「と思う」んじゃない。君が思ってるだけなんじゃないの。ナンセンスだね、言ってることが。はい、ほかの質問、どうぞ。

シナは世界の共通語であって、差別でもなんでもないわけですが、あの中国の反日デモをみれば、文明とは程遠い、中華という言葉のうそらしさが見えてきます。中国の王朝が中華であって、民は野蛮、という印象があります。ちょっと耳が痛いのですが、石原前都知事は、間違った思い込みでものを言うのは、ナンセンスだ言っています。中国という言葉に慣れてしまったので、考えもしなかったけれど、いつか中国という言葉に変わってシナが普通になるかも知れません。しかしながら、中華人民共和国という国名そのもは、その国の主権であって尊重するものであります。

 

| | トラックバック (0)

2012年12月11日 (火)

3年余で見えたもの

121210a

建て前と本音はしばしば一致せず、本音はときに行動に現れる、ひとはそれを馬脚を現すという。この3年余で学んだものは、与党議員の人たちが、彼らの目的のために、語らぬ部分がおぼろげながら見えてきたような、それは総じて日本の弱体化への道を歩もうとするものではなかったか。

それが見えてくるまで、3年余の時が流れた。国益に資すると言いながら目的のために、本心を明かさぬということがあるなら、もはや信じることの空しさが漂う。自由を奪われた哀しさの彼らがもつのであろう、進取の気概はどこから得たのか。それに比して、はたして自分は進んでいるのか、遅れているのか、一体、正しいものが存在するのだろうか。

彼我のいずれが、ゆくべき道なのか、耳障りのよい言葉が正当化の隠れ蓑として流されてくる、平和と沖縄の負担軽減という名のものとに弱体化をのぞむものあり、外では習総書記もまた平和を口にし、内では毅然とするという言葉の軽さ、信ずるものが崩れだす、その言葉を反語法に照らせば、精神の安定がゆらぐのでありますが、身が引き締まるものも、またあるのであります。

 

| | トラックバック (0)

2012年12月 3日 (月)

脇に置くということ

121202a

電車のつり革には、触りたくないという人も世の中にはいると思います。好き嫌いがあるように何かに拒否反応を示すのは、誰でもがもっているものでしょう。そこからぬけ出すには、ある程度勇気がいることです。脱原発というものは、見ていると多分に心理的な反応で、一種の病的なアレルギーといってもいいような気がします。これに罹ると一途に、他をまったく受けつけられなくなってしまう様です。

脱原発は、単にエネルギーだけにかかわらず、目には見えない運命のいたずらが待ち構えているような、その落とし穴に落ちないとも限りません。韓国の輸出は好調、9か月連続の黒字と伝えています。日本は、上期2兆9千億の赤字。この勝ち負けの差は大きいです。日本は物心両面にわたって次第にむしばまれて、世界の落胆をよびかねないかも知れません。その凋落は、皆が覚悟ができるような生易しいものではないはず。

また、庶民と同じ感覚、心配性の固まりでは、道が拓けるはずもない、国政をあずかろうとする人は、個々の私的な心理反応というものは、脇において置かなければならない。

政治的責任は、痛みのないアレルギー反応とは何の関係もないからです。ここは、産業のみにかかわらず、あらゆる角度から長期的視野に立った波及シミュレーションが必要です。電気代値上げも止むなしではなく、値下げすることを考えた方がいいと思います。その方が国の活力が増すのではないか、いずれにしても、冷めた目で見なければ道を謝ることになるやも知れません。

 

| | トラックバック (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »