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2012年12月 3日 (月)

脇に置くということ

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電車のつり革には、触りたくないという人も世の中にはいると思います。好き嫌いがあるように何かに拒否反応を示すのは、誰でもがもっているものでしょう。そこからぬけ出すには、ある程度勇気がいることです。脱原発というものは、見ていると多分に心理的な反応で、一種の病的なアレルギーといってもいいような気がします。これに罹ると一途に、他をまったく受けつけられなくなってしまう様です。

脱原発は、単にエネルギーだけにかかわらず、目には見えない運命のいたずらが待ち構えているような、その落とし穴に落ちないとも限りません。韓国の輸出は好調、9か月連続の黒字と伝えています。日本は、上期2兆9千億の赤字。この勝ち負けの差は大きいです。日本は物心両面にわたって次第にむしばまれて、世界の落胆をよびかねないかも知れません。その凋落は、皆が覚悟ができるような生易しいものではないはず。

また、庶民と同じ感覚、心配性の固まりでは、道が拓けるはずもない、国政をあずかろうとする人は、個々の私的な心理反応というものは、脇において置かなければならない。

政治的責任は、痛みのないアレルギー反応とは何の関係もないからです。ここは、産業のみにかかわらず、あらゆる角度から長期的視野に立った波及シミュレーションが必要です。電気代値上げも止むなしではなく、値下げすることを考えた方がいいと思います。その方が国の活力が増すのではないか、いずれにしても、冷めた目で見なければ道を謝ることになるやも知れません。

 

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