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2012年12月11日 (火)

3年余で見えたもの

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建て前と本音はしばしば一致せず、本音はときに行動に現れる、ひとはそれを馬脚を現すという。この3年余で学んだものは、与党議員の人たちが、彼らの目的のために、語らぬ部分がおぼろげながら見えてきたような、それは総じて日本の弱体化への道を歩もうとするものではなかったか。

それが見えてくるまで、3年余の時が流れた。国益に資すると言いながら目的のために、本心を明かさぬということがあるなら、もはや信じることの空しさが漂う。自由を奪われた哀しさの彼らがもつのであろう、進取の気概はどこから得たのか。それに比して、はたして自分は進んでいるのか、遅れているのか、一体、正しいものが存在するのだろうか。

彼我のいずれが、ゆくべき道なのか、耳障りのよい言葉が正当化の隠れ蓑として流されてくる、平和と沖縄の負担軽減という名のものとに弱体化をのぞむものあり、外では習総書記もまた平和を口にし、内では毅然とするという言葉の軽さ、信ずるものが崩れだす、その言葉を反語法に照らせば、精神の安定がゆらぐのでありますが、身が引き締まるものも、またあるのであります。

 

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