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2013年1月

2013年1月28日 (月)

読み間違った物語

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スポーツは遊びであり、競争する楽しさがあります。身も心も熱くして一時を過ごすことは、日々の活力になります。よきライバルがあることで、生きる張り合いがあるというものです。
さきごろ、日教組の委員長は、全国集会のあいさつで、競争は子供たちのためによくない、と全国学力テストを批判したと伝えられています。こどもたちにとって、競争原理の導入はダメだ、と決めつける、間の抜けたことを言う。彼らは、民意という逃げ方をするが、はたしてそうなのだろうか。つぎを担うこどもたちの、伸びる大切なときに、芽を摘むようなことがあっては、責任は重い。

こどもたちが委縮すると、過小評価し、偏見をもってみているような気がします。いつまでたっても、化石のような幹部たち、競争は良くない、と浅はかな単純思考になったのは、かってのベストセラー、黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」の読み間違いのような気がします。

天真爛漫なトットちゃんが通ったトモエ学園は、ハンデキャップのある子供にも平等のチャンスを与えるという素晴らしいところでした。その園長先生にめぐり合って、本当はいい子なんだよ、と言われていきいきとして育っていくという感動の自伝物語でした。その本は、人々に感銘を与え、よい教育の手本のように、絶賛されたものです。

しかし、その教育は、多少とも問題児をあつめた学園であったからできたものでした。日教組が、こどもたちが委縮させてはいけない、という特定の場所における価値を一般論として、過剰に評価した結果は、その弊害も大きい思います。

 

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2013年1月22日 (火)

弱点を餌食にする国

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多くの者は、見え透いた策略と、気づいたが、誰もとめることはできなかった。中国のその策略は成功し、黒を白と言う、その強弁の正当化に加担することになった。鳩山元首相は中国を訪問した。選ばれて招待される身として、氏の胸中は大きく膨らむものがあったであろうが、おそらく策略に落ちるという文字はなかったに違いない。良かれと思ってしていることだ。

思うに、これは学習障害というか、人生経験において、インプットした知識を心の受容体が反応して成長すべきところ、何らかの欠陥のせいで成長が止まってしまったのではないだろうか。ひとは多かれ少なかれ、世の風にあたれば、身の不完全さというものを自覚し、答えを出すに迷い、注意深くもなるものを、氏には全く、その言動の適否も、結果というものも予測できないようだ。

日本は弱点を突くことを、いさぎよしとしない。弱者に対し、いたわりと憂愁の思いを抱く。一方、中韓は、相手の弱点を捉えるに敏であり、それを餌食にする。
それは動物的な本能ではあります。しかし、美しいものではありません。

 

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2013年1月14日 (月)

文化の高揚は強圧に勝る

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良心をもってことにあたるのが、日本の外交ですが、中国政府には、良心なるものは見えてきません。あるのは、どんなことでも論破できるという自負と、曲解に長じた敵対的な攻撃性をもつ、黒白逆転の論理です。それを押しつけようとする誤魔化しでしかないです。中国は言っています。「中日間の困難な局面は、日本が招いた。日本は現実を直視して、適切に問題解決を図るべきだ」、と。

中国の自らを正当化しようとする反論は、真実の歪曲、まったく自分本位のご都合主義であり、われわれの良心と理性をかく乱して見苦しい。
これは、安倍首相が、「中国は政治目的のために、日系企業や個人に被害を与えることは、責任ある国家として、間違っている」、としたことへの反論ですが、中国は、その粗暴な振舞いの痛い所を突かれて、世界の周知の前に認めざるを得なかったので、論点のすり替えで逃げたのです。安倍首相のこの言葉で、中国は、官制デモの扇動は抑制せざるを得ない。

言論でも、武力でも、ごり押しは人間の真理を損ないます。世界に共通して価値あるものは、覇権や武力でもなく、文化でしょう。感性によって洗練され、長年にわたって築きあげた、伝統芸能、美術、音楽、アニメのように文化をもつものは強い。

中山恭子さんは、世界の文化交流の場として、日本で世界の第一級の表現者を招く、”まつりプロジェクト”の実施を提案をされています。素晴しい提案だと思います。文化は、国境をこえて心を豊かにする力をもっています。

”文化のオリンピック”を通じて世界に寄与できれば、われらの心の安定剤となり、存在が有意義なものになるに違いないです。文化の高揚は、武力に勝る。と言っていいでしょう。

 

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2013年1月 6日 (日)

強者の期待に応える作法

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映画ベンハーで、ローマ軍の奴隷となったベンハーは、ガレー船の船底で鎖につながれ漕ぎ手になっていた。見回りにきた司令官が通り過ぎたが、振り向きざまにベンハーの背中にビシッとムチをいれた。怒りに燃えたベンハーの目をみながら司令官は、
  「やり返す気はある」
  「だが、自制心もある」
  「いいことだ」
  「憎しみは糧となり生きる力を与える」
といって去っていく。

ベンハーは無言の存在感を示したのだった。強者は、冴えた眼力をもっている。その手応えに司令官の言葉は、ベンハーの人格を尊重する度量を示したものだった。司令官は、怒ってはいない、司令官の言葉はベンハーに力を与えます。

強者の威圧に対しては、覇気で臨むべしです。尖閣の国有化に際し、野田前首相は、熟慮に熟慮を重ねて決断し、中国側に、さまざまなレベルで説明したにもかかわらず、残念です、と文芸春秋に書いています。私の素人の考えでは、国有化は内政であって説明の必要を思いつかないのですが、説明は釈明に通じ、釈明は自らの非に通じます。

中国は、唖然としたのではないでしょうか。自らの主権はどこへやったのか、覇気の喪失を思わせる素人外交的なやり方、手応えのなさに、中国は怒りすら覚えたのではないかと思います。本気でぶつからなかったら、中国でなくても怒るでしょう。

 

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