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2013年3月

2013年3月27日 (水)

いずれが調和か不調和か

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イザベラ・バードは、汚れることを知らない気丈な女性だった。尽きない探究心を持ち、その行動力は、病弱の身を押して、健常者のそれを上回っていた。旅の手段は、主に人力車か馬にまたがっていたことを見てもわかる。明治11年6月、東京を立ち、日光、新潟を経て北海道を踏破し、「日本奥地紀行」を書いた。見たことをありのまま書いた、という。どちらかというと、生なましく、みじめで貧しいく汚く書かれた部分が多いけれど、透徹した目で、見た感情の動くままに書かれてあって、それでいてなお清々しい。

日本人ではなし得なかった、当時の風俗を細かにに記録し、貴重な書物になっている。先日、書店で、新刊本といっしょに平置きにしてあった、この1冊を見つけたのは、ほんとうによかった。

その中に、「実に大自然には不調和は存在しない」 と書かれている。轟く波の音も、カラスの鳴き声も調和しているという。

大自然を、調和と捉えたところが、すごい。人間社会のみが、不調和をつくりだす存在だと、それとなく思わせる。不調和は、心おだやかならず、逃げだしたくもなる。なぜに不調和がおこるのだろうか。不調和なかりせば、としたところで、そもそも不調和があってこそ、対比として調和があるのだから、男と女があるように二つは無くてはならない存在とも言えるか。しかしながら、いずれが調和か、不調和か、計る物差しはなく、互いの思惑は異なるのであります。

イザベラ・バードは、イギリス生まれ、明治11年5月横浜に上陸、12月には旅立っていった。47歳だった。

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2013年3月19日 (火)

井の中の蛙の秩序

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青い山脈という歌があります。男のロマンがあるように、日本人のロマンというものがあるとすれば、この歌が言い得ているのではないでしょうか。父も見た母も見た、旅路のはてのそのはての青い山脈・・・、と、今も時おり唄われます。遠い昔、九州に上陸した稲作は、寒冷地には適さなかったが、改良をかさね次第に北上し北海道でもできるようになりました。農機具を発明し、農業の発展によって村の鍛冶屋も方々にありました。日本人の研究心とロマン、青い山脈がそこにありました。より良いものへのあこがれがありました。

井の中の蛙、大海を知らず、といいますが、黒船の来航から文明開化へと進み、あこがれへの精神文化によって、日本は、大海を見たのでした。その大海を、朝鮮半島の人たちに見せてあげようとしたのが、日韓併合といわれる時代ではなかったのか、と思います。

しかし、残念なことに、彼らはいまに至って大海を見ることができず、世の普遍的価値観の何か、を知らない。儒教的な、支配するものと支配されるものの秩序を重んじる、中華思想の呪縛、亡霊がそれを許さなかった。その民を苦しめる独裁政治は、いまも中国、北朝鮮でつづいています。習近平国家主席は、「中華民族の偉大な復興」と言っていますが、要はかっての王朝を頂点とする独裁圧政に向かうと宣言しているように思えます。偉大な復興という言葉は、強くひきつけるものがあり、韓国が憧憬をもっても不思議ではないです。

思うに、向うところは、自国至上主義の過去志向ではないか、中国、韓国、北朝鮮は、ひょっとして、井の中にいるのではないだろうか、と思いますね。日本の閣僚は、あいまいな未来志向という言葉で呼びかけますが、歴史が重要だという、過去志向の人たちに、果たしてとどくのだろうか、という気がするのであります。

 

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2013年3月13日 (水)

2万年前の日本列島

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遠い古代エジプトのピラミッドの時代から、5000年の歳月が流れました。いま思うに任せない、日々の永さにくらべ、途方もないものです。それにも増して、12万年前以降に動いたという活断層が問題となっています。原発の寿命は、わずか40年、それに対し12万年前以降の活断層を根拠に、原発を止めようかという話しです。

太古には、日本列島は大陸とつながっていました。おおよその輪郭ができたのは、2万年前、それでも、現在の地形とは異なり、四国も九州も本州とつながっていた、ということです。あたかも漂流物のように形を変える大地なのでした。そう考えてみますと、時代をさかのぼれば、さかのぼるほど、不確かなものになると思えてならないのです。

規制委員会の方々は、40万年前を考慮するとか、何か、計るものさしを間違っているような気がします。それ以前に、いまの科学では予測できないものを、無理に結論をだそうとしているように見えるのですが、予測不能となぜ言えない、そういう空気でもあるのかどうか。何をかん違いしてか、拒否権の乱用がよぎります。

エネルギーあっての強靭な国であるはずです。大震災の追悼式典で、中国は例によって作戦的な急な欠席、韓国も欠席を決めていたという、向おうとしているところが見えませんが、かれらの国に依存する経済を少なくして、日本が立っていくためには、ここは惑わされてはならない、挑発にのらず、落ち着きをもって先を見据えるものが、勝ちを得るはずです。

 

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2013年3月 5日 (火)

愚かなり、指し図という快楽

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異なる前提は異なる結論を生み、異なる前提は、正当性を失う。一体、異なる前提は、どこからくるのだろうか。おそらく、さまざまな精神のせめぎ合いのなかで、どのくらい平衡を保とうとしたか、どうかによって違ってくるではないだろうか。つまり平衡感覚がずれれば、正当性は危うい。

韓国の朴槿恵大統領は、歴史を直視せよ、と自らが正当であるごとく、日本を糾弾する。しかし、われらは、歴史観において、彼我の価値観の共有を認めるものではない。彼らの感情と快楽のための道具としての歴史を直視という、自らには問わず外にのみ向う価値観をもって、日本に対して指し図するのは、愚かにして不遜であり、正当性はない。彼らのことは知らず、われら日本人の文化と精神において、歴史を曲げることはあり得ないからだ。

彼らは歴史の英知に目を向けず、かれらが快楽としての特定の心情のみを過剰に追求し、歴史を壊そうということに喜びを感じるのは、彼らの不徳なり。われらは快楽よりも、実をもって尊しとする。

かって、日本が彼の地に成した、農業改良、学校開設、鉄道敷設、衛生医療事業、などなど、新風を起こしたのは、列強の中に見ることはできない施策であった。それを国民に知らせず、一途に、日本=悪、という教育、風潮は、歴史を直視するにはほど遠い。

日本は海に囲まれ、中華思想とは無縁、歴史の成り立ちから独自の文化を形成し天皇をいただく独立国である。
然るに、彼らが、中華におもねり、日王とよぶは、歴史を学ばないにひとしく、歴史認識を問うを得ないはずであります。

このように述べれば彼らは、妄言だ、というであろうか、それもよし、それが大多数の理性の発露であるならば、それが彼らの正義であろうから、認めはする。

 

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