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2013年4月

2013年4月30日 (火)

育たない彼の国の品位

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世の中には、理不尽なことがある。執拗な領海侵犯と威嚇、その品位のなさはどうか。そのやり方は、未成熟で前近代的、かさにかかって、知性の感じられない低俗性を思わせる。

良識あるものの靖国を思う心は、雑念も欲心もない。ただ純粋な心であるのみ。内政不干渉は、国際法上の原則であって、良識ある国の矜持でもある。日本が他国の内政に口出しすることは、寡聞にして聞かない。

だが、中韓はことあるごとに、われらの精神上の内心に、土足で踏み込み、彼らの心のゆがみ、そのままに真理からの飛躍と、決めつけによって、歴史への誠実という名のもとに、優越に浸ろうとする。

このほどの、韓国の国会における日本を糾弾する決議文は、「非理性的妄動と妄言」、という言葉を使って非難している。非礼の前に哀れである。そこには、その国の品位はない。妄動と妄言は、上からの目線の蔑視、曖昧にして感情的な浮薄であり、一国の公文書として記録するに堪えない。その言葉は、何やら、わが世の春を謳歌している精神病棟から聞こえてくるような声の、悲しみを感じるしかない。

中韓の靖国批判は、深遠な考えからきたものではなく、ある時点に味を占めたがゆえの、中傷を目的として悦に入る、動物的な低次元の感覚、進歩のない同じ手の繰り返しでしかない。けれども、内なる低次元もある。日本の代表紙である読売、朝日、毎日、日経は、そろって、その中韓の言動を是とするがゆえに、靖国参拝について日本の自重をもとめる考えを表す。

それが世論の流れをうながすのは、成り行きではありますが、いたずらに反応、あるいは利用して、彼らに利するのも、また新聞人である気がするのであります。新聞人の声は大きいのであります。

 

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2013年4月24日 (水)

1票の価値

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人それぞれに個性があり、できる能力にも差があります。年功を積むごとに成長するということもあり、自ずと見識も生活様式も変わってくるだろうと思います。人みな平等とは言っても、それぞれある程度の責任と期待されるものが異なってくるだろうと思います。そういう意味で、平等とは何?1票の格差って、ほんとうに計れるものだろうか、と思うのです。

1票の格差が違憲ということで、山梨、福井、徳島、高知、佐賀、などの計5つの選挙区を減らす案が出されています。けれど、私には、格差という不利益の実感がありません。高裁の判決文では、格差と言わず、較差といっています。最大と最小を比べたとき差がある、と言っているに過ぎません。

1票の重みというものは、政治家として聡明な人が当選したとき、価値あるものになる。しかし、候補者を見るのは、はなはだ難しい。3年余の素人政治を見てわかったのですが、あのときの1票の価値は、下落したものだった。つまるところ、個々の1票が、善政か悪政かを左右するのであり、1票の価値というものは、浮動票のそれと、真摯にものを見ていた人との間には、差があるのではないだろうか、と思うのです。

つまり、1票の重みは、得票総数の中に、等しくあるのではない、ということではないか。そうだとしても、それを事前に格差として計ることは、できるはずもないと思います。

それに、違憲とされる憲法十四条は、すべて国民は、平等であって差別されない、とありますが、この条文に照らして、選挙の区割りが、地方に対して都市を、差別をしていた、という結論を導き出せるのかどうか、疑問に思うところです。裁判官は、結論が出せないものを無理やり、だしてるような気もするけれど、違憲というのは本当に正しいのか、実のところはよく分からない。

 

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2013年4月17日 (水)

書き遺された言葉

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英霊の前では、敬意と感謝の気持ちを捧げればいい。それ以上の雑念は不要。静かに彼らの言葉を聞いてあげるのがよい。先日、知覧特攻平和館を見てきた。彼らの遺した言葉の数々には、胸がつまり、涙を誘う。父母を想い、兄弟を励まし、婚約者を気づかう。お母さん、いまから行くからほめてやってください、と言って飛び立っていった。常に大空にあって健康を祈っております、と書いてある。

黄色人種の日本が、日露戦争で勝利するなど、白人たちのとってあってはならないことだった。次第に、日本を蔑視する風当りは増していた。その白人を相手に、アジアのただ一国で、不義を糺そうとした。アジアの植民地を開放したのは、唯一日本だった。勇敢に戦ったことに意味がある。無駄死にではなかった。時代の中で、精一杯に国を思っていたのだ。若くして逝った英霊たちの遺書をみれば、かれらはとても偉かったのだと思う。

現代の価値観によらず、素直に彼らの気持ちを汲み、こころを落ち着かせるのがよい。その言葉は、いま思い起こしても、心が洗われる気がする。見学は、観光ツアーの一部で、知覧特攻平和館か、知覧武家屋敷のいずれかを選択するものだったが、知覧特攻平和館を選んだ人は少なく、3割弱だった。ここまで来て、彼らに会うのは、礼節と思うのだが・・・。

 

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2013年4月 8日 (月)

間違いはどこからきたか

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権力は、上下の秩序をつくりだすが、ともに腐敗しやすい。平等が失われ、人々を打算に走らせる。富が偏在し、不公平を生みやすい。そこで、民は公徳心を失ってしまうのだろうか。中国の川には、数千という病死した豚が流れ、ときには人も流れてくることもあるという。かっては風水豊かな村であったが、企業は、廃液で川を真っ赤にそめ、多くの住民は、腫瘍におかされ、物言わず亡くなった。また、牛乳のように白く濁った川水を、それでも飲むしかないという。

山に住むものが、流域のことは知らず、不浄な毒物と知りながら川に流し、海はやがて汚れていく。この有るまじき間違いは、どこからきたのか。おそらくは、中国共産党の独裁、その建国60余年の歳月によって、その文明の力が次第に失われた、ためではないだろうか。

60有余年前、急進派の共産党が、穏健派の国民党を台湾に追いやった。が、その台湾には、かっての文化の香りが、いまも息づいているという。そのことを見ても、数千万人とも言われる粛清をし、文化を破壊した毛沢東を分岐点とする中国の歴史の流れは間違っていたのだ。と思います。いまの手のつけようのない凶事を見れば、彼らもそろそろ気づいてもよい頃ですが・・・。驕るもの久しからず。これは真理であるはずです。

 

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2013年4月 2日 (火)

日本人であること

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欲しいものを手に入れるには、いろんなやり方や、考え方がある。それらをひっくるめて価値観とするなら、個人や組織あるいは国にとって、価値観は多様にある。富める者は、貧しいものにほどこすのが当然とする国もある。欲しいもののためには、平気で約束を反故にする国柄もある。それらの価値観の置きどころを、その国の原理とすれば、日本人は原理を持たないがゆえに、他国の原理を理解する能力が身につかない、よって外国とのつきあい方がへた、と司馬遼太郎などが言っている。

けれども、原理なるものは、すべてに共通する価値観であるはずはなく、必ずしも正当性を与えられるものでもないはずだから、他国に対して、理解はしても、それにおもねる必用はないのではないか。

しかしながら、国全体でみれば、その価値観は、政党をこえて共通であって欲しい。たとえば、辺野古移設にしても、外国人地方参政権付与、あるいは憲法にしても、特定の組織や地域のための価値観によらず、全体のものであって欲しい。

先ごろ、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、記者会見で、つぎのように言っている。
「公明党といえど、やっぱり日本人、日本の民族を代表しているつもりの政党なんだろうから、さっき言ったみたいに何が肝心かということを考えない政党は政党の体をなさない。そういう点では、何というのかなあ、憲法というのは非常に大きなトリガーになると思いますよ」

 つまり、石原氏は、日本人なんだろ、と当たり前のことを問うている。
外国人の仲間を抱える組織、公明党に対して、のみならず、よくぞ、言ってくれた、と思います。つまるところ、肝心なのは、日本人であること、ではないだろうか。

 

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