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2013年4月 2日 (火)

日本人であること

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欲しいものを手に入れるには、いろんなやり方や、考え方がある。それらをひっくるめて価値観とするなら、個人や組織あるいは国にとって、価値観は多様にある。富める者は、貧しいものにほどこすのが当然とする国もある。欲しいもののためには、平気で約束を反故にする国柄もある。それらの価値観の置きどころを、その国の原理とすれば、日本人は原理を持たないがゆえに、他国の原理を理解する能力が身につかない、よって外国とのつきあい方がへた、と司馬遼太郎などが言っている。

けれども、原理なるものは、すべてに共通する価値観であるはずはなく、必ずしも正当性を与えられるものでもないはずだから、他国に対して、理解はしても、それにおもねる必用はないのではないか。

しかしながら、国全体でみれば、その価値観は、政党をこえて共通であって欲しい。たとえば、辺野古移設にしても、外国人地方参政権付与、あるいは憲法にしても、特定の組織や地域のための価値観によらず、全体のものであって欲しい。

先ごろ、日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、記者会見で、つぎのように言っている。
「公明党といえど、やっぱり日本人、日本の民族を代表しているつもりの政党なんだろうから、さっき言ったみたいに何が肝心かということを考えない政党は政党の体をなさない。そういう点では、何というのかなあ、憲法というのは非常に大きなトリガーになると思いますよ」

 つまり、石原氏は、日本人なんだろ、と当たり前のことを問うている。
外国人の仲間を抱える組織、公明党に対して、のみならず、よくぞ、言ってくれた、と思います。つまるところ、肝心なのは、日本人であること、ではないだろうか。

 

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