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2013年7月

2013年7月29日 (月)

変化球でかわす

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堂々としていることが肝心、そしてあっさりとかわすのがいい。できうるなら、正義の白刃の一閃で、ひやりとさせれば、なおいい。米国内のいわゆる慰安婦の碑の設置について、菅官房長官は、わが国の考え方と相いれない、政治、外交問題とすべきでない。と不快感を示しましたが、なすすべがないと言っているに等しいです。真正面から受け止めてしまっては、それこそ敵の思う壷にはまったも同然。

こころ狭きものは、人の不幸は蜜の味、とほくそ笑んでいるかも知れません。その碑の設置は、理不尽な怨念のなせるわざ、動機と目的の不純さは、知れています。そこにある碑そのものは、彼の国の文明国への遅れ、マナ-の悪さを象徴しています。自らが俗悪性を見せている何物でもないです。

米国人だって、それぐらいは気づくが、人ごとだから、どうでもいい、あるいは共に蜜の味を味わっているか、日本は何て外交下手なんだろう、ぐらいには思うにちがいないです。その少女は一体だれなのか、名前のある人なのか。望むのは、世の普遍的価値観の共有の道を歩んでもらうことです。

そこで、少なくとも、日本が言うべきは、その碑は、
「国際社会の規範に照らして理解されない。韓国の利益にならないだろう。」 ぐらいには、アッサリと、かわいて欲しいものです。そして、必ずや、韓国にとってその存在がじゃまになる日がくる。

サッカーの東アジア杯の日韓戦において、「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕が掲げられた件においては、まさか客人へのマナーとは思えないです。もちろん日本には当てはまらない。韓国に対してはあまりにも正鵠を射ています。韓国も自虐史観を掲げた、という報道はなかったようですが、日本民族とは、あまり言わないから、これは韓国自身のことを暗に言っているのではないか。だとすれば、FIFAの規定に抵触する可能性は少ないです。たぶんです。

 

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2013年7月24日 (水)

偉大な人の欠点

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過ぎたるはなお及ばざるが如し、というが、一途な思い込みは、どこか空疎な感じがします。「風立ちぬ」を作った宮崎駿監督は、どうやら日本人はダメだと思っているらしい、スタジオジブリのHPに長文の自論を展開し、決めつけているけれども、人間70も生きてくれば多少とも、我にとらわれた意識に気づくこともあるものを、氏にはそれらしいものが見あたらない。

それは戦乱にあれば個々にいろんなことがあるだろうが、世界はそれで動いてきたのであって、世界が学ぶことの道筋がそこにあった。氏は、政治家の歴史感覚のなさに呆れるばかり、と言い。考えの足りない人間が憲法をいじらない方がいい、と見下して言う。

そして、慰安婦の問題も、それぞれの民族の誇りの問題だから、きちんと謝罪してちゃんと賠償すべき、と言うが、両方の民族の誇りがそれで解決できるとも思えないし、これは誇りの問題ではなく、すでに兵士より何倍もの高給が支払われていた、ということで言えば、本来とるに足りない問題であるはずを、日本はダメだと思うひとたちの誹謗中傷の道具として使われていると見た方がいい。

全体として、宮崎駿監督の言葉から感じるものは、日本人としての誇りはどこへやったのか、日本人を信じていないのではなかろうか、と思わせるのでした。50、60は花ならつぼみ、70歳は花盛りというけれど、堅く閉ざしたままの蕾がいくつか残っているような。「自発性を失った心の空洞を満たすものは不平しかない」と小林秀雄は言った。天は二物を与えず、という。

 「偉大な人間は、しばしば欠点もまた偉大なんだ」 有吉佐和子

 

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2013年7月16日 (火)

自虐は低俗な悪趣味

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いわゆる自虐史観という言葉は、造語と思われますが、その人たちの主張の観点は、相手の側に立つもので、迷惑なことに、日本全体に向かって押しつけようとし、もって、近隣諸国に気に入られようとするように見えます。必ずしも自分自信には、向かっていないことを見れば、言葉として正当性を与えられるものでもないです。

彼らに、自虐という言葉を与えるには、分不相応であり、言ってみれば、偏見に満ち、硬直した攻撃的歴史観とでも言った方が、いい。それは、ある意味、狭量を強いる一面あり、愛国心はだめだが自虐史観は教育してよいという矛盾、その執拗性は、言葉による暴力性を帯びているからです。

しかし、彼らは、中韓のために良かれと思ってやっているのかも知れませんが、中韓が、普遍的価値観を共有し得る国に進むには、何の役にも立たず。ねじれた歴史の中に閉じ込めておくことはできても、道徳性が根づかせるにはほど遠い。

世に言われる、話して分かる国、文明国への道を説くことをせず、その歴史観なるものは、表面的には、親中、親韓に見えても、裏を返せば、中韓が目ざめるべき、あるいはなすべき、善き道徳性に背反している。

それに、時代の進歩を阻害している、という意味において、結果として、反中、反韓、であり、中韓が、自らが体得する機会を与えない背信です。そういう不誠実さは、低俗な悪趣味でしかない、と思うのです。

 

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2013年7月10日 (水)

回帰への機運

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お蕙ちゃんは9歳、ぽっくりを履いて、ぽくぽくちりちりと、家に遊びにやってくる。玄関の格子をあけ、「ごめんあそばせ」と声をかける。 「きのうはあたくしが悪うございました」 と畳に両手をついて、けんかわかれをあやまった。中勘助の「銀の匙」にでてくるお話しです。

明治という時代でみれば、幼い子の、ごめんあそばせ、という言葉は、ほほえましい。相手への思いやりが伝わって礼儀正しさを感じます。そういう言葉につながる作法を思うにつけ、背筋をぴんと伸ばして生きている当時の人々を思います。

いまは飽食の時代、人心は劣化し気ままにはしるような。反省し過ぎるものと、反省しないものとの対立は、どちらも度が過ぎて平行線がつづきます。反省し過ぎるものは、自己を喪失してをり、反省しないものは、起きたことの意味を理解しえず、歴史というものに敬意をもたない。しかし、少なくとも日本の中では、今失ったものを復活したい、という機運がでてきつつあるような気がします。

 

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2013年7月 1日 (月)

汚れを知らない正義感ゆえに

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事実と信じるものが、作りごとであったなら、それにつづく論理展開は、不合理です。それがどのような論理であっても、正当性はありません。中国がいう、「尖閣は日本が盗んだ」、を肯定するような鳩山元首相の発言がありました。また、一部には、中国の言っていることを、正当に評価することが必要不可欠と、鳩山氏を擁護するものもあります。

黄文勇さんによれば、中国は、歴史の真実よりも創作が大好き、という。40年におよぶ黄さんの研究調査によれば、「尖閣は中国の領土」とする中国の歴史論拠は60点あり、その原文を検証した結果、すべてうそであることが分かった、という。「正論」25年5月号にくわしくでています。

にせもの天国と言われる中国のイメージは、いつも肌で感じるけれど、捏造だらけの中国史、というのも、うなずけるものがあります。中国の1300年におよぶ科挙の制度は、言葉を巧みにすることを至上として、言葉こそ最大の武器とする思考を生んだと思います。その鍛錬の結果、中国は、どんなものでも、すべて論破できるという、おごりを持つようになり、腕によりをかけた言葉を発することに腐心する。

日本は、そのような大陸の色に染まらず、洋上に浮かぶ島であって純粋培養によって、損得よりも、真偽に価値をおく独自の文化を育てた。その汚れを知らない正義感ゆえに、中国の言う正論に触れたとき、それが実は上辺だけの正論であっても、同調し、感化され得ることが起きる。

つまり、中国の自信というものは、自らが放つ言葉によって、日本がいづれ、すり寄ってくるという、その洗脳する能力を自覚していることからきてるのではないか、と思う。鳩山氏や、その同調者、あるいは朴某にしても、その他の革新の闘士にしても、洗脳されてしまっては、道理の通じるはずもなく、批判の意味を失ってしまいます。静かなる洗脳は、偏狭を植えつけ、自覚できないところに恐怖があります。

カイロ宣言を履行せよ、と中国はいうけれど、カイロ宣言と呼ばれるものは、米英中3者の署名がなく、当のチャーチルが原本の存在を否定している、という。「宣言」という文字もない、70年前の紙切れは、すでに失効し、威厳を消滅している。鳩山氏のように自分は正しいとする主張そのものは、前提条件が成り立たなければ、間違っているこになります。

 

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