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2013年7月10日 (水)

回帰への機運

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お蕙ちゃんは9歳、ぽっくりを履いて、ぽくぽくちりちりと、家に遊びにやってくる。玄関の格子をあけ、「ごめんあそばせ」と声をかける。 「きのうはあたくしが悪うございました」 と畳に両手をついて、けんかわかれをあやまった。中勘助の「銀の匙」にでてくるお話しです。

明治という時代でみれば、幼い子の、ごめんあそばせ、という言葉は、ほほえましい。相手への思いやりが伝わって礼儀正しさを感じます。そういう言葉につながる作法を思うにつけ、背筋をぴんと伸ばして生きている当時の人々を思います。

いまは飽食の時代、人心は劣化し気ままにはしるような。反省し過ぎるものと、反省しないものとの対立は、どちらも度が過ぎて平行線がつづきます。反省し過ぎるものは、自己を喪失してをり、反省しないものは、起きたことの意味を理解しえず、歴史というものに敬意をもたない。しかし、少なくとも日本の中では、今失ったものを復活したい、という機運がでてきつつあるような気がします。

 

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