« 押し戻せよ感情の波 | トップページ | 非礼な質問と論点のすり替え »

2013年8月28日 (水)

ゲンは思想で判断か、良心で判断か

130827a

もしかすると、これが正しいというものは、ないかも知れませんが、それを計る物差しは、いくつか存在するでしょう。はだしのゲンを、小中学校の図書室に置くかどうかは、曲折の末に元どうりにして、学校の判断にまかせることになったようです。生徒たちが自由に読めるようにするかどうかは、賛成派と反対派で、互いに判断基準、と思惑が異なり、その上、見えない威圧的な力関係も感じられます。

つまり、そこには是非を判断する共有の物差しはありません。日教組、朝日、毎日、などに見られる賛成派と、普通の市民感覚の反対派が対峙する形は、かたくなな思想性と、素朴な良心の衝突と見てとれるからです。小中学生に読ませるのであれば、ドキドキ、わくわくするような、そして感動と涙があって、何かを発見する喜び、それに共感を呼ぶものであってほしいです。それが、子供たちへの慈しみの大人の良心でありましょう。

ゲンには、そんなものを望むべくもない、面白いところはないということです。ひとりで怒っているマンガなって、底が浅くて見るに値しないものです。賛成派のように、平和と自由という名の隠れ蓑を着て、天皇制の否定と人身の弱体化をもくろむに、執心している人たちにとって、ゲンは、格好の教材に見えるのかも知れませんが、教師が意図して巧みに手引きしない限り、こどもたちの心を動かすような、後に残るものは何もないだろう、と思いますね。

 

|

« 押し戻せよ感情の波 | トップページ | 非礼な質問と論点のすり替え »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/58063534

この記事へのトラックバック一覧です: ゲンは思想で判断か、良心で判断か:

« 押し戻せよ感情の波 | トップページ | 非礼な質問と論点のすり替え »