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2013年8月13日 (火)

情報の品性の堕落

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結局、人がまっすぐに歩いていられるのは、ひとから見られているという微かな予感があるからだ。多かれ少なかれ、まわりからの視線をなにも感じなかったら、これほどやる気の失せることはない。誰かの役に立つ、あるいは関心をもってもらえれば、ひそかに嬉しいにちがいない。

中でも、新聞人は、正確で公正な記事と、責任ある論評をだすことを、使命としているが、それに携わることを得て、絶大なる影響力を知れば、余人には分からぬ、無上の喜びがあるにちがいない。

しかし、ともすれば公正でいられるかどうかは、多分にあやしいものがある。おそらく、その果てることを知らない欲望の増大は、しばしば理性を超えてあらぬ独善に陥ることもあるだろう。独善は公正を超えて醜悪にもなりうる。

先のナチス関連発言の朝日の報道がそれだった。その報道は犯罪だという人もいれば、むべなるかなだ。曲解をもてあそび、2日間で9頁にわたる執拗な掲載は、良識を外れた攻撃性をもっていた。救いようのない愚人ぶりだった。海外への電話インタビューなど、日本を貶めようとして憚らないやり方は、いつものことながら、日本の新聞にあるまじき、恥ずべきものだった。

どこかの国の手口と同質、海外に籠絡の手をのばそうとする、感情そのままの噴出は、情念の一心同体を思わせて、自らの品性の堕落を示してあまりある。おおらかに、日本を応援しようという気は、さらさらないものだった。

 

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