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2013年8月 6日 (火)

歴史を冒涜するもの

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責めに対してはだれにも言い分がある。それを知れば、多少とも、心広くなれるものを、「歴史を忘れたもの、」などと、一方的に押しつけることしか、知らないのも、すっかり飽きていやになってしまいますが、聞く耳もたなければ、話しにならないです。

阿川佐和子さんが、友達から、「あなた阿川佐和子の”聞く力”、読んだほうがいいよ」 といわれたという話しは、ほめ言葉の一面で、聞くことの難しさをあらわし、ユーモアがあっておかしいですが、韓国の歴史認識なるものも、あやしいです。

見たいものしか見ようとしない、内面に甘えが宿って、ゆがんだ歴史認識は正当性をもち得ないです。客観的な事実は無視し、都合のいいことは誇張や捏造したり、都合の悪いものは抹消したりする、そういう自分勝手さはあきれはてます。群盲象を評す、のたとえは、視野の狭いものが真実の多様性を見誤ることの教えていますが、一面性しか見ようとしないで、それを他に強要することは、尊大です。

だがその前に、歴史認識という言葉をかざして、誹謗・中傷は、国際社会の一員としての矜持を失った感情の暴走であることに、いつになったら気づくのか。常軌を逸した言動は、自らの位置を高めるに、何の役にも立ち得ないはずです。

もっとも、中韓首脳のいう歴史認識とは、日本=悪、という一点に固定化しようとする浅はかなもの、それに汲々としていることは明白です。70年以上も過ぎた現代において、歴史の名において、歴史を冒涜するものは明日は危うい。というのに。

 

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