« 月光の下に立てば | トップページ | 強く生きることの清しさ・・少女の物語 »

2013年9月25日 (水)

格差という平等

130924b

子は親を選べないことを理由にして、婚外子に不利益を及ぼすことは許されない。と最高裁は言うけれど、その有無を言わせない威圧は、どこか、論理の照応に不適合がある気がする。遺産の分配において不利益というは、必ずしも適当ではなく、婚外子に損害が発生するものでもない、それぞれの実情による優位性によって法による差が生じるのであって、現状にあって被害を及ぼすものではないことを見ても、絶対的に不利益という言葉にあたらない。

一般に、人は自分が引き受けて行かなければならない立場によって、報酬に差がある、その差は、能力給という評価によって成り立っていることに照らしても、むしろ、差があることがお互いに平等であると、広く受け入れられている。

最高裁は、親を選べない、という望むべくもないことと差別という対比の単純な構造にして見せるが、確たる尺度を持たない平等性とは、論理をもって融和しないのであって、一見正しそうに見える論理展開は、はたしてそうかという思いは残る。

判決は、分け前を半分しか与えないのは、不平等である、ということであるから、婚外子が、やむなく和して家族の共同生活に加わることができなかったとき、それによって起きたであろう有形無形の不平等もまた、不利益ということになり、金銭に換算して認めなければならないことになるやも知れず、さらに家族の混乱をまねきかねない。最高裁は、合理的根拠は失われたと、一方の側にたってもの言うが、平衡感覚は保たれているのだろうか。

 

|

« 月光の下に立てば | トップページ | 強く生きることの清しさ・・少女の物語 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/126209/58250003

この記事へのトラックバック一覧です: 格差という平等:

« 月光の下に立てば | トップページ | 強く生きることの清しさ・・少女の物語 »