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2013年10月30日 (水)

多様性の切断は時間の浪費

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信念の正邪ほど、あやふやなものはない。しかし、世の中には絶対的自信に満ちた人もすくなくないです。聞けば、なるほどそうかと思うこともよくあること。信じたものは、不甲斐なさにたえず揺れ動きます。一体いずれがほんとうなのか、判断がつかず結局は永い時間の中で、どういうことに落ち着くのか、あるいは何が起きるのか、と消極的な庶民であってみれば、きわめて効率の悪い学習方法ではあります。

けれども、良かれと思ってしたことが、間違った結果をもたらしたとき、その根本的な欠陥は、自分たちのやっていることは、絶対に正しいと信じきっているということに尽きるでしょう。その元凶は何かといえば、間違いないという信念であった、それが人間の限界というものかも知れません。そこではじめて、実は誤解であった。失敗であった。という壮大なる浪費に気づかされます。

それでも、やっと気づいたということは収穫になります。失敗によって、もたされたものは大きいです。日本はイエスとノーがはっきりしない、といわれますが、その曖昧さは、多様な考えを互いに認めるという、協調の精神が根づいているためでしょう。

一方で、これこそが正当だ、というかたくな理念に基づいて、国民を教化、啓発につとめる一元的な統一志向から、離れられないものもあります。そこには、曖昧さを是とする、あらゆるものを受け入れるという概念は、生まれないです。

だから異なる立場や、異なる観点に見えている景色が見えるはずもない。隠蔽と強調の教育恐るべしです。神ならぬ人に完璧はなく、みな不完全なものであってみれば、多様な思考から切断されれば、時間を浪費するばかり、いよいよ、時代の流れはよどみ、いつまでも遅々として進みはしないだろうと思いますね。

 

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