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2013年11月19日 (火)

割り切るということの危うさ

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 ものごとは、ぱっと割り切ってしまえば答えは簡単にでます。悩みは解消、あとはその結論にしたがって決断すればよい。つまり想定外に起きることは、あくまでも除外で、責任範囲外ということになります。逆に言えば、それは結論のために割り切って考えるという、答えを出すに好都合なものです。

いま、小泉元首相の「即原発ゼロ」発言が話題になっています。しかし、現実には、内外を問わず想定されるすべての事態において、考えなければならない、それ相応の時間をまたなければ結論はだせない、即決断という生易しいものではないはずです。それが責任ある政治家の仕事。人類は、燃料なくして生きていけるわけもなく、ウランを含め化石燃料もいつかは尽きるわけで、無尽蔵ではないんです。後世のためにも燃料は残さなければならないと思います。

いつエネルギー争奪戦が勃発し、政情不安になっても不思議はないです。太陽光発電にしても、自然環境にそぐわない、ぶざまで高価、実に効率のわるいものです。そういう状況において、50年、いや100年、200年を超えてエネルギーを考えるのは重要なことです。小泉元首相のいう、「首相が決断すればできる」、「必ず人が良い案を考えてくれる」、などという安直な得意のワンフレーズは、自論に世論をなびかせるための誘導尋問にひとしく、かつての政権交代という沸騰の悪夢を思ってしまいます。小泉時代は元気がでましたが、いまは、なんだそんなものだったのかと、幻滅を感じてしまいます。日本は、原発事故に対して果たすべき責任が世界から求められてるはずで、これからも、他が成し得ない新しい技術開発を期待してやみません。

 

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