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2013年11月26日 (火)

ゆるがぬ大地に根を下ろす

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しっかりとしたよりどころを持たなければ、根なし草になってしまう。ある討論番組で、「一体、何ものなのか、アイデンティティはどこにあるか」、と問う人がいましたが、ちょっと虚をつかれて衝撃的でした。振りかえってみれば、自己の思いはいろいろの道をたどってきたけれども、その帰結は安易に外的条件に答えをもとめたような気もします。でも、主体性ということでみれば、内なる責任に行き着くはずだったかも知れないです。

生きるための本能は、内なる闘争心が燃えているはず。それを抑えていい子になろうとしていた時代は、思えば子供じみて見えますが、永き眠りの中にまどろんで、少し覚めてみると、7年にわたる占領下にあった人心は、新しい民主主義の影にかくれて、罪を負った者のごとく、去勢されたごとく、それと気づかず自己喪失の病が日本を覆って、いまにつづいていたのでした。

それは、GHQの策略だったと気づくようになりましたが、その考えは責任を外的条件にもとめるもの、その後も60年余の間、日本が漫然と受け入れてきたことを見れば、GHQの責任に帰すことは、もはや虚しい気がします。こころやさしい日本人の、その血そのものが今の状況をまねいている、ほかのだれのせいでもない。ここに至って、世はようやく外的条件に惑わされることなく、アイデンティティに目覚めつつある気がします。

「世界は腹黒いというこを忘れたのか」、と国会に参考人として招かれた人の発言がありましたが、目の覚める思いです。言われて気づけば、世界は卑怯、ということがわかってきた。しかし、それを責めても得られるものはないです。結局のところ、先人たちが空から見ている日本という、この大地にしっかりと根をおろしているかどうか、が肝心だと思います。

 

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