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2013年12月25日 (水)

曖昧という確かなもの

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日本人は神経が細いと言います。感受性が豊かで繊細な能力をもっているということでしょう。いつも何かを感じることで生きる喜びと、心の平衡を保とうとしてきました。厚顔無恥という図太い神経とは対極にあるものです。万事控えめに白黒をはっきりっせない曖昧さを好み、人それぞれであることを知っていました。

その一方で、よく、過去のことについて厳然たる事実だ、という人がありますが、その事実というものは、ものごとを主観によって解釈した結果によるところが、なきにしもあらずです。もしかしたら、それも数多くある事実の断片であるかも知れず、そのひとつの事実をもって善悪の判断基準にするには、公正を欠くことになります。往々にして、過去のことについて、事実だ、という解釈は、時のながれの中で、そうあって欲しいという欲望に変質したおそれさえあるからです。

世の中に完全なものはないとすれば、いわゆる事実というものも、また半分は正当性を失うでありましょう。つまり過去の事実という断定は、確かとはなりえない”無実”をも含むことであり、ただの解釈にすぎないことにもなると思います。逆に言えば日本人の曖昧さにの中には、多くの確かな事実が隠されていると思います。曖昧さは、自由という環境の中でしか育たないだろうと思うのです。

 

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