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2013年12月 3日 (火)

はっきりしないものを決めつける不合理

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研究してみる価値あるものは、没頭するほどにおもしろいが、難解なものほど解がみつからない。そこでよくやるやり方は、自らが美しいと思う解に、辻褄の合う要件を拾いあつめて結論を導きだすことがあります。往々にして、それは違った角度から見えるものを見失うことがあります。

1票の価値をめぐる広島高裁岡山の判決は、違憲で無効ということでした。1票を投じることによって、どれほどの不利益が生じているかどうかは、はっきりと目にみえるものでもないです。また、1票の格差というものは、あちら立てればこちらが立たず、不確定性の原理のごとく、その格差を解消する名案は、国会でもみつかっていません。いかに司法という専門家とはいえ、何をもって平等とするのか、広くてはっきりしない、「法のもとに平等」、という、ただ、それだけの一語をもって、無効だ、と糾弾できるとも思えないのです。

むずかしい課題には、各論があって当然、正解はないのかも知れないのです。それを高裁という地位によって、これが正しいと結論するのは、どこかがおかしいと思います。立法府という選良された議員の多数意見の成果にくらべれば、高裁のそれは、ごく少数の考えです。各議員の1票と裁判官の1票の価値に換算してみれば、その格差は、実に不合理と言えば、不合理。その判決は、3権分立どころか、立法府への越権行為とも思えます。合意形成のむずかしい憲法にかかわる判断は、復すことが困難のものだけに、もっと慎重であってほしい、と思うのです。

 

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