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2014年1月15日 (水)

水に流す・・平衡感覚

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水に流すということは、われに返るということでしょうか。つまり、不浄なものから元の清浄なものへともどる、人の成熟の結果ともいえると思います。中国や韓国では、水に流すという文化がないといわれます。それは永い圧政の苦しみを思わせます。人はいかに一時の激情にかられたものであっても、理性の働きで平衡を保とうとするのが常です。その平衡感覚は、もっている規範に照らして判断した結果とするなら、水に流すことのできない人たちは、永い歴史の中で自らの規範を醸成できなかった哀しさでもありましょうか。

広い心に立って水に流すことは、多様を知ることであり、一方的には成り立たず、双方が合意してはじめて成り立ちます。それが良心の証しとして、自らの名誉も一時の激情の正当化も、そして人それぞれの存在の意義をも見いだされるだろうと思います。

小説「永遠のゼロ」において、一機のゼロ戦が米空母の直前にして、燃えながら急上昇、背面となって逆落としに艦上に落ちます。甲板には、ゼロのパイロットのちぎれた上半身がありました。それを見た艦長は、ややあってつぎのように言います。「わが軍の優秀な迎撃戦闘機と、対空砲火をくぐリ抜け、よくぞここまでやってきた」 と。
・・そして翌朝、遺体は白布に包まれ挙手の礼に送られて水葬に付されたのでした。ここに敵対関係にあっても、その技量と勇気をたたえる、良心という規範と、その平衡感覚をもつ者たちの、いわば武士道や騎士道に通じる礼節と名誉を重んじるこころざしの高さが見えるのでした。クライマックスから静かなる鎮魂へいざなう、ここが肝心な場面であったのです。
ところが、映画ではその場面が再現されませんでした。今や、けがされてしまった、美化、という言葉がよぎったのかどうか、残念なことでした。

 

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