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2014年2月 5日 (水)

経験の域をでない発想

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韓国政府は、フランスの国際漫画祭において、戦時下の女性への暴力をテーマにした作品を出展しました。暴力による悲劇的被害者だ、と韓国がいっているの聞けば、おおよその内容は知れます。野蛮で非道な仕打ちというものは、中国でも韓国でも、彼らの歴史の中でよく聞くことがあります。もう、残忍で寒気がするほどものもあります。台湾の人たちにおいても、乗込んできた中国軍の残忍なやり方の記憶が今に消えない。

漫画の創作において、イマジネーションは、自らの経験にたよるしかない。彼らの発想というものは、所詮、自分たちの社会の慣習や歴史の中にある経験から発してものだ。つまり経験からくる発想は、自分たちの所業に根づくだけに信じるだけの強固なものがあるだろう。しかも韓国は男尊女卑の伝統をもつ。しかしながら、日本人には、そのような粗暴な経験はないのであって、しかも、江戸の遊郭においても、近松の心中作品をみても決して身分の低いものではなかった、暴力は無かったであろうと思う。

彼らがいう、日本人が野蛮で非道というのは、彼らの身に照らして、そうであるはずだ、という思い込みであって、自らの野蛮さが現われ出ているに過ぎない。惑わされてはいけない。実に根拠のないこと言っているだ。自分たちの経験によって、日本人は、野蛮で非道と決めつけていることは、どうしようもない愚かさでしかないだけに、日本の悩みは深い。

それにしても、漫画祭の主催者は、日本の出展を排斥するアンフェアな断を下したのは何故か。直情径行の国、韓国が国策として行っていることを見れば、豊富な資金がどのよう流れたのか、思わずにはいられないのです。

 

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