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2014年2月12日 (水)

過去を問うより今できることを

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いま日本にふりかかる火の粉は、もとはといえば内なる反日メディアから発するもの。そのご注進に意を強くした諸外国が悪乗りした結果にちがいないです。ことほど左様に、いわゆる進歩の気概をもつ人たちの、それと気づかない罪は深いものがあります。評論家の西部邁さんは、「もはやこれまで」の中で体験として、左翼はもともと利口だけれども、少々長くやっていると必ずバカになってしまう、と言っています。ひとつの思いをいつまでも固執してバカになっているとしたら、それに構っていても仕方がない。

河野談話の不当性をめぐり河野氏の参考人招致を自民党が拒否したことは、私には妥当と思えます。これまでの河野氏の言動からして、たとえ招致できたとしても、「実は間違っていました」、ということはありえないと思うからです。どんなに不当性を追求したところで、河野氏の考えが変わらない限り、そこで氏が発する正当論は、曲解によって必ずやメディアや諸外国に逆手に利用されかねない、と思うからです。

議員の演説は院外で責任を問われない、という憲法に照らせば、過去の個人を難詰して責任を迫るよりも、ここは現議員の責任において見直しを行い、理路整然として国会の議決によって、河野談話を正せばよい、それができなければ、もはや政権が決断するしかない。と思います。

 

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