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2014年4月30日 (水)

投げた言葉のゆく末

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広い海にいだかれて、青い山脈の連なる大地、そこから湧き出す水源に恵まれた日本があります。人々は自然の恩恵をうけて、それを敬い生きてきました。四季の変化は、歳時記を生み、はるかなる暮らしの中で精神的、人間的な生き方を育んできたのです。

そういう精神風土は、他のアジア諸国とは違った素質を生むことになりました。やはり、隠忍自重にして、広い許容をもつ日本に生まれてよかったと思います。諸外国との軋轢は、それぞれの情念と利害がからんで、日本にふりかかってきますが、正すべきもの、正していきたい。いわれのないものには、ゆずれない一線があります。

このようにのべると、国粋主義的と言われるのかも知れません。しかし、政治に限ってみれば、そこはあくまでも日本の立場に立たずして、国会議員の資格はないと思います。国を軽んじて全体の博愛にのみ向かうなら、夢想であり欺瞞の疑いがあります。

結いの党は、「国粋主義的な政党とは相入れない」、とのべたようですが、一方的に決めつけています。言葉に一種の蔑称をただよわせて対立するものを排外する姿勢は、では一体、結いはどこに行こうとしているのか、その目的を不鮮明にしているように思います。

 

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