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2014年4月 9日 (水)

ゆがんだ物差しの限界

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物差しを無理に曲げて、これが正しいと、それで押し通そうとするものもありますが、普通の物差しは真っ直ぐなものです。それぞれに、自分のもっている物差しが、正しいものだと信じる力は強いです。しかし、定規で、重さを計れないように、そして、哲学が永遠の思索の宿命であるように、なんにでも当てはまるような、これが正しいという、物差しはないのです。

まして、それぞれの国の行動に対して、他国が良し悪しを判断するのは、難しいです。お互いに、見ているものが違えば、言い分もあり、秘した大義もあるからです。それにやっかいな、それぞれの思惑というものもあります。南極での日本の捕鯨はだめだ、という国際司法裁判所の判決がありました。裁判官16人中、12対4で採決されたようです。

もちろん、12人が正しくて、4人が間違っている、というわけでもないでしょう。多数決という、明暗をともなう妥協の産物でありましょう。そうであるなら、なにも国際司法にもちこまなくても、話し合いによる解決方法もあったのではないか、と思います。そういう意味で、司法へ提訴する人たちにしても、また採決を出す人たちにしても、結論を強要するわけで、適否あるいは限界があるような気がします。

しかしながら、ひとつの結論を得たということは、進歩の段階をための手段として、正しいものだったと信じたいです。敗者しか味わえない、何か得るものがあったような気もします。

 

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