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2014年5月29日 (木)

分に過ぎた力の結末

20140528a

 分不相応のものが力をもてば、理不尽なことがまかり通ります。それもたまたまであれば、一瞬の冷水を浴びせられて、目覚ましにはなりますが、そういうことが日常となれば、害悪でしかないような。人は社会の中で、何がしかの力を与えられたときから、夢ごこちの中に過信に陥り、抜きがたい自己陶酔によって平衡感覚が麻痺、もはや観念が固定する。

それがいまの新聞であり、わがままな原発再開不可の判決であり、沖縄の教科書問題など、多々思いあたるのであります。はたまた、外を見れば、はるか洋上に勝手な線をひいてわが領土と野蛮な威嚇をするものが、あるのでありまして、いずれも、未成熟のままに、分に過ぎた力をもったがゆえに、世の道を過ったのではないか、と思うのであります。

それもまた、自己中というものか、虚栄のために迷える人間らしさ、でもはありましょうか。しかし、それぞれに、文明の成長とは言い難い、退行するような世の習いは、飽食によって劣化の道をたどるのか、一体どうしたものでしょうか。何かを成し得る環境にあって、力を成すものは、それなりに妥当性と共感をよぶものを持たなければ、ほんとうに害悪でしかありません。

 

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